ゼロの使い魔 ハルケギニア茨道霧中
第三話「定期航路」



 感謝祭が無事に終了した翌日、『ドラゴン・デュ・テーレ』にてルイズとクロードを送り出すと、リシャールも感謝祭の後処理についていくつかの指示を出した後、自身の旅支度をはじめた。
 出発は明後日だが、いよいよ正式に王都とセルフィーユを結ぶ定期航路が開かれるのである。当初は週に一往復、様子を見て他の航路を開くか、あるいは便を増やすかすることになっており、その第一便に乗ってリシャールは王都へと向かう予定となっていた。
 この航路の開設は念願の一つでもあったが、時間も金額も当初想定していた小型の水上船舶によるリールとの往復よりは余計に掛かっていたし、いくら武装を削って乗員を減じたといっても、フリゲートである『カドー・ジェネルー』を使う手前、運用益はもとより大して望めもしなかった。元から商船として作られたフネに比べれば、随分と経済性は低いのである。いくら性能が高くとも有事には軍艦として使うことも考えているから、平時の運航には明らかに能力過剰な風石機関を撤去したり、性能は落ちても運用人数が少なくて済む経済性の高い帆に取り替えたりするような、いわゆる『切り詰め』は出来ず、水夫の数と風石の消費量は圧縮しにくい。
 もっとも、貴族の子息子女と言えどたった二人の送迎に『ドラゴン・デュ・テーレ』を投入していることを思えば、些細なことであるような気もしないではない。こちらはこちらで誘った手前もあるし、面子の維持に必要な経費でもあった。後見人達を安心させる材料の一つにもなろう。
 航路の開設にはやはりと云うか、いっそどこからか中古の商船を引っ張ってきた方がよいのではないか、あるいはどう考えても赤字になるならば航路そのものを諦めた方がよいやも知れぬとの意見も出た。領空海軍からは、『カドー・ジェネルー』の維持費と航路単体の運用益考えた場合に、少々乗客や船荷が集まったところで毎月数百エキューの赤字は確実であるとの試算が提出されていた。
 それでもラ・ラメーらと幾度もの検討を重ねた末に『カドー・ジェネルー』の使用に踏み切ったのは、定期航路のある街という商業都市にとって利のある看板が早期に一つ増やせることと、訓練でフネを動かす経費が似たようなものならば、任務に宛った方がよいだろうという判断を下したからだ。実際には艦長以下船員は全て領空海軍の所属であり、彼らの給与やフネの維持運航の費用はそちらから出されているし、練度の維持にも有益であった。
 リシャールの乗船には箔付けの意味もあるが、実際に王城へと赴いて新たに拝領した領地の開発や展望についてマザリーニへと報告し、助言を請う予定も入っていた。
 単に王都へと移動するだけならばアーシャに乗って飛んでいく方が安くて早いが、時には移動手段さえもが仕事になってしまうのが今のリシャールなのである。

 出発の当日、カトレアとマリーに行ってらっしゃいのキスを残し、リシャールはアーシャにて空へと降り立った。帰りが不定になる可能性を見越し、彼女もフネに乗せられての移動となる。多少不機嫌そうな様子に、差し入れは奮発するかと苦笑する。
「お待ちしておりました、閣下」
「ええ、航路の方はお任せします」
「はい、了解であります」
 『カドー・ジェネルー』のピエール・オクターヴ・ド・シャミナード艦長と、随員を率いて先に到着していたジャン・マルク隊長、メイドにして水メイジのジネットらの出迎えを受けて乗船すると、意外にも船客は多かった。
 出航式典のようなものはなかったが、感謝祭での船内公開がそれに代わるものになるだろうか。多少は宣伝になったようで、甲板上では感謝祭での商いを終えて身軽になったのであろう行商人風の男が、荷の少ない背負子にもたれて外を眺めていたりする様子も見られた。
 セルフィーユから王都までは乗り合いの馬車でのんびりと三日、あるいは急がせて二日、普通の貨客船でも丸一昼夜はかかる距離だ。それに対して『カドー・ジェネルー』は、朝セルフィーユを出航すると夕方には王都に到着できる。この季節、帰りは風向きの関係で倍ほどの時間が必要だが、それでも夕刻に王都を出航すれば翌日の昼にはセルフィーユへと到着できるとリシャールは聞いていた。
 速度の早い分料金は馬車よりも若干高めにしてあるが、自前の足を持たぬ旅人が馬車かフネか迷う程度の額に留めてあった。元より赤字になるならば、少々値上げしたところで意味はない。それよりは定期船を呼び水に人を集め、船賃以外の部分で利益を上げるべきであった。
「アーシャ、ちょっと船内を見てくるよ」
「きゅいー」
 『ドラゴン・デュ・テーレ』よりもいくらか幅の狭い『カドー・ジェネルー』だが、それでも十メイル弱ほどの船幅はある。彼女の大きな竜体でも、激しい動きでなければ船体が動揺することはない。
 リシャールはアーシャを一撫でしてから、ジャン・マルクらを従えて船内へと降りていった。
 上甲板の一層下にある砲甲板には、いくつかの間仕切りが固定されて床には腰掛けが取り付けられ、簡易な客室となっている。『ドラゴン・デュ・テーレ』に設置した貴賓室ほどではないし、扉もカーテンもない簡素な造りだが、ないよりはいいかと職人を手配した。
「はい、ご苦労様」
 降りた先に立っていた水兵がリシャールに向けて敬礼を捧げる。
 その向こう側に、荷物と共に官吏やメイドらの一団がリシャールを待っていた。彼らはリシャールに従って王城へと向かう者もあれば、王都別邸や商館の交代要員、あるいは休暇を貰って里帰りをする者もいる。伯爵家当主の公務での移動に総勢七名は少ない方かもしれないが、そこは今更気にしてもはじまらない。自分とアーシャだけでいいのにとは思いつつ、ヴァレリーらの言い分に妥協している。
「では、荷の番は適度に交代し、順に休憩するように。
 リシャール様には私がつく。
 リシャール様、何か他にありますか?」
 全員を見回してから書類入れなどが入った行李にちらりと目をやったリシャールは、問題はないようだとジャン・マルクへと頷いた。
「よし、解散!」
 リシャール用も含め、貴族向けの船室は用意していない。艦長も下級とは言え貴族でフネも軍艦籍のまま運用されているから滅多なことはないだろうと思ってはいるが、世話に人を割くほどそちらの客が見込めるとは思えず、また余計なトラブルを未然に防ぐ意味もあった。最初から平民向けとしておけば、こちらも設備や人手が減らせる。
 その平民の船客へのサービスにしても、客当番に当たっている水兵に一声掛ければ熱い香茶が飲めたり、頼めばハンモックや毛布が借りられる程度であった。待合室ごと動く乗り合い馬車のようなものだが、それでいいのだ。一等二等と分けているというようなこともない。人数と荷物の量で運賃が決まる。
 船内では特に用もないかと、リシャールは腰掛けの隅っこに陣取った。あまり動き回るとジャン・マルクらがいらぬ苦労をする。
 シャミナード艦長からはリシャールの乗船に際して艦長室を提供するとの申し出があったが、リシャールは断っていた。遠慮はいらないのだろうが、大して長旅でもない。夕方には王都に到着する予定だったし、一般の船旅がどのようなものかと興味もあった。
 それでも武装した水兵が二名、歩哨よろしく間仕切りの入り口に立ったままでいるところを見るに、リシャールの希望を汲みつつもジャン・マルクとシャミナード艦長が安全に配慮した結果なのだろう。
「リシャール様、少し宜しいですか?」
「?
 ええ、無論」
 声をかけてきたジャン・マルクだが、珍しく口ごもったのを見て、リシャールは一度降ろした腰を上げた。
「……あー、ジャン・マルク殿、甲板にでも出ましょう」
「は、申し訳ありません」
 再び甲板に上がったリシャールらは、アーシャの傍らに陣取った。彼女の大きな竜体は、丁度良い人払いになるのである。もっとも、メインマストとミズンマストの間をほぼ占領しているので、前後の連絡にはいささか難があった。
「アーシャ、ちょっとここを借りるよ」
「きゅい」
 彼女はそれとなく聞き耳を立てているようだが、だからと咎めるようなことはない。
「実はですな……」
 周囲を見回してから、幾分照れくさそうな様子で声を潜めるジャン・マルクに、リシャールも少し表情を和らげる。
「……妻が、身ごもりました」
「ヴァレリーさんが!?」
 彼の妻、筆頭侍女のヴァレリーはギーヴァルシュ時代から何くれとなくリシャール支えてくれた大事な人でもある。
「まずはおめでとうございます、ジャン・マルク殿」
「は、ありがとうございます」
「詳しいことは領地に戻ってから、皆で集まって話をしましょう。
 ……ふふ、楽しみでしょう?」
「はい」
 リシャールはジャン・マルクの肩を何度も叩き、大いに祝福した。

 トリスタニア到着までにジャン・マルクと相談を重ね、いつぞやの約束通り家族で住めるように新築の家を用意することや、ヴァレリーには早めに産児休暇を与えることを約束した。めでたいが一家臣の慶事にしかすぎない面もあるので、あまり派手に祝うのも問題らしい。
 詳しいことは帰城してから関係者でもう一度話し合うことにして、取り敢えずは王都での予定を片づけて行かねばなるまい。
 夕刻、トリスタニアへと到着した一行は、港の関係者らと挨拶を交わしてから、馬車に揺られてのんびりと市街へ入っていった。『カドー・ジェネルー』はこちらの港で一泊して客を集めたあと、セルフィーユへと帰る予定になっている。船内では航路開設直後とあって、極少数と予想される船客の人数を当てる賭事が行われていると、艦長は苦笑していた。
「王城と別邸には既に伝令を走らせました。
 リシャール様からは何かございますか?」
 既に王城を訪問するには遅い時間となっていたが、マザリーニの都合に合わせる方がよいだろうと、到着だけを先に知らせに行かせたのだ。通例ならば明朝以降、向こうから使者か手紙が来る筈だった。一日二日遅れたからと困る内容ではないことは、互いに承知している。
「私の方からは特には……そうだ、今日のところは時間もありますから、久しぶりに『魅惑の妖精亭』にでも顔を出しましょうか。
 ジネット、別邸の皆にも声をかけておいてくれないかな」
「かしこまりました、旦那様」
 リシャールは向かいに座るジネットに声を掛けた。彼女たちはヴァレリーの部下でもあるし、男衆だけを誘って羽目を外しすぎない為のブレーキ役でもある。
「無論、ジャン・マルク殿へのお祝いが主な目的になりますが」
「……は、ありがとうございます」
 リシャールがからかい半分に片目をつぶると、酒の肴になることを想像したのか、ジャン・マルクの返答には一瞬の間があった。

 せめて旦那様だけは馬車でとの意見もあったが、リシャールは皆と連れ立って徒歩で『魅惑の妖精亭』へと向かった。元よりそれほど距離のある場所ではない。帰りも酔い冷ましにはいい距離だろう。部下や家臣を連れた貴族が連れ立ってぞろぞろと歩く姿は、王都ではそう珍しくはない。
 ジャン・マルクらと雑談をかわしつつ、それとなく街並みを眺めて歩く。塀で中の見えない貴族街は代わり映えせぬものの、繁華街に入れば店々の様子にも人々の装いにも春らしさが見え隠れしていた。
「あらまあ、リシャールちゃん! お見限りじゃないの!
 お姫様が生まれたそうね! おめでとう!」
 程なく着いた『魅惑の妖精亭』ではスカロンも相変わらずの様で、店に入るなり強烈な抱擁を受けた。これがいつものやり取りなのだと思えば、それなりの安心感すらある。……どうやら、飼い慣らされているらしい。
「ご、ご無沙汰です、ミ・マドモワゼル。
 アルビオンに行ったり子供が産まれたりで、何かと忙しかったんですよ」
「ええ、もちろん聞いてるわよ。
 あなたのところの兵隊さん達は、うちのお店の上得意様だもの」
 奥に案内されながらちらりと店内に目をやれば、いい時間なのか七割の席は埋まっていた。
 皆でジャン・マルクの背を押して良い席に座らせ、少しばかり上等のワインとそれに合う肴を頼む。
 酌をする妖精さんに混じって、ジェシカが現れた。彼女の衣装も今は店の通常の衣装、つまりは妖精さんと変わらぬものとなっている。しばらく見ない間に、彼女も一つ階段を昇ったようだ。
 乾杯をしてひとしきり場が落ち着いた頃、リシャールの隣に彼女が座った。
「久しぶりね、リシャール。
 おめでとう。……赤ちゃんかわいい?」
「ありがとう、ジェシカ。
 仕事放り出して家から出たくないぐらいかわいいよ」
「うふふ。
 ね、今度連れてきてよ」
 妖精さんと部下にワインを注がれながら何やら慌てているジャン・マルクを横目に、リシャールもワインを一口飲んだ。好みから言えばもうすこし渋みが少ない方が良いのだが、トリステインではこちらの方が主流で評価も高い。
「王都には何回か連れて来たこともあるけど、いつも忙しかったっけ……」
 しばらくは領内のあれやこれやで急がしいから、余裕が出来るとすれば夏頃だろうか。
「夏に一度、家族でこちらに来る予定になっているから、その時に余裕があればお邪魔するよ」
「夏……アンリエッタ様の立太子式?」
「うん。
 内々の儀式はともかく、式典への出席は予定に入ってるよ」
 まだ正式な予定は届いていないけどねと付け加えて、リシャールは天井を見上げた。

 トリステイン王家がアンリエッタを太子として立てて次期女王とする旨は、先月末、国内外に広く発表されていた。
 元より対抗馬のいない立太子であったため、思惑の外れた一部の貴族勢力はともかく概ね好意的に受け止められていたことは、彼女にとってもトリステインにとっても幸いであった。
 アンリエッタの立太子式はラグドリアン湖畔で昨年行われた園遊会とは違い、ハルケギニアの大国で国王が出席するのはトリステイン国王の代役を務めるアルビオンのジェームズ王のみで、規模は縮小されていた。園遊会での融和政策に一定の効果があったと判断されたことや、国事ではあるが戴冠式ほど大きな行事でないこと、当のアンリエッタ姫が華美な式典を好まないと発言したらしいことなど様々な理由が付けられていたが、裏側も少々存在する。
 平たく言えば、トリステインの財政が厳しすぎたのだ。

 リシャールも義父ラ・ヴァリエール公爵との手紙のやりとりで多少の裏事情は知っていたが、ジェシカに聞かせても意味はないし、王家の懐事情などはもちろんこの場では口に出せない。
「アンリエッタ様もお忙しいそうだよ」
「そうなんだ?」
「未来の女王様だからね。
 その準備が色々と大変みたい」
「ふーん。
 ……あら?」
「うん?」
「失礼、『鉄剣』殿とお見受けいたします」
 ジェシカの視線の先に目を向けると、王軍の士官らしい、羽根飾りの帽子を手にして軍装を華麗に着こなした二十歳頃の若者が立っていた。どうやらリシャールを尋ねてきた様子である。
「はい、私がリシャール・ド・セルフィーユ……ああ! 確かグラモン家の!」
「三男のジェフロワ・ド・グラモンです。
 ……おや、今日は奥方様はこちらには?」
 周囲を見回すジェフロワに、年始の祝賀会にて彼らグラモン伯爵家の四兄弟は揃ってカトレアに目を奪われていたかと、リシャールはその時のことを思い出した。
「妻と子供は領地ですよ。
 宰相閣下にお会いして、あとはとんぼ返りの予定です」
「それは残念」
「ジェフロワ殿、今日はお一人で?」
「はい、噂の酒場と同僚に聞いて、是非一度と思っておったのですよ」
「ほう。
 気楽な酒席ということで家臣達も同席しておりますがこれも何かのご縁、こちらの席に如何です?」
「おお、喜んで!」
 一人で飲んでいたという彼を放り出すわけにもいかず、少し詰めさせて隣に座らせた。美男子の登場にジェシカやジネットは素直に目を輝かせている。
 対してジャン・マルクらは、伯爵家公子にして王軍の士官だと名乗る彼に立ち上がって敬礼した。
「ああ諸君、気にしないでくれたまえ。
 筋を通すということならば、リシャール殿への私の態度も云々せねばならないし、ご相伴に預かっているのはこちらだからな」
「ええ、この場は無礼講ということで」
 平民にも気遣いを見せるとは流石グラモン家の子息、トリステインきっての軍人一族なればこその態度、部下の人心掌握にも繋がっているのか……と一瞬だけ感心するも、視線の先を追うに相席のメイドや妖精さんたちへの評価を優先させたようだと気付いたリシャールは、内心で大きなため息をついた。女好きもここまで首尾一貫しているといっそ見事だ。
「先日までは西の国境に配属されておりましたが、春の人事異動で王都への勤務となりましてね、やはり王都はいいものです」
「ほう、今はどちらの所属に?」
「ブラバント連隊の連隊本部に勤務しております。
 有事には……そうですな、大隊本部付きか中隊長というあたりでしょうか」

 国にも当然ながら予算の都合があり、技術職とも言える水兵を維持確保する目的から平時よりその戦力がほぼ充足している空海軍とは異なり、国境に張り付けられている警備隊や王領にある直轄都市の衛兵隊、王宮の魔法衛士隊、砲兵隊や輜重隊などを除き、完全に充足された陸上戦力はほぼ存在しなかった。
 トリステインの陸軍たる『王軍』には有事の主戦力として十二個の連隊が存在し、各種の独立部隊や予備部隊までまとめて総動員をかければ数万の軍にもなるが、各地からの急な要請に応じて野盗や亜人に差し向ける常在の戦力が予算と共に認められている場合でも、連隊麾下に二個中隊もあれば多い方だ。連隊とは名ばかりの司令部や士官、そして武器庫に集められた銃砲のみが在籍する幽霊部隊さえあった。もっともその士官たちは貴族、即ちメイジでもあるから、亜人の退治にそれらの部隊より士官のみが派遣されるという事態も日常だ。それに指揮官教育を受けた職業軍人はおいそれと集められるものではないから、平時より囲っておく必要もあった。。
 これら王軍の部隊が有事には承認された予算を元に傭兵を集めて部隊を編成し、各地の守備または遠征へと送られることとなっていた。

「普段は気楽なものですよ」
「そうなのですか?」
「以前いた部隊では兵士の訓練に手が取られていましたが、今は訓練も自分を磨くことが中心で、部下も居らず書類仕事も格段に少ないのでね」
 羽根帽子を団扇にして酔いを醒ますジェフロワに、少なからず羨ましさも感じる。
「うちは先日より国境の警備を新たに命ぜられて四苦八苦しているところですよ。
 予算の都合がつかず、伝令に使う馬を後回しにしたぐらいです」
「うちの実家も同じ様なものですよ。
 まったくまったく、予算という名前の怪物には逆らえませんからな」
 何処も苦労は同じらしい。
 せめて借入金の返済と街道の工事が終わってくれれば、もうすこし自由度も上がるのだが、そうは問屋が卸さないのである。
 ジェフロワとは他愛のない会話が大半であったが、王軍の兵器や流行の戦術、魔法戦についてなどそれなりに身になる話も多かった。……合間に妖精さんに手を出そうとした彼はスカロンから熱烈な抱擁を貰っていたが、それはまあいいだろう。
 翌日のこともあるので宴席は早めに切り上げ、リシャールはジェフロワと再会を約して『魅惑の妖精亭』を後にする。
「ほら、しっかりして下さい!」
「……ううっ」
「少しばかり羽根を伸ばしすぎましたかね、領主様?」
「たまにはいいんじゃないかな」
 早い時間に精算したにもかかわらず酔い潰れた二人をゴーレムに担がせて、リシャールらは別邸に帰還した。ちなみに担がれているうちの一人は、今日の主役であった。

 翌朝の早い時間、マザリーニの使者より本日夕刻前に登城願いたいとの旨を聞かされたリシャールは、昼の内は王都商館に顔を出した後ギルドに足を向け、余り重要でない用件を済ませることにした。普段は家臣を派遣しておくだけの場所だったが、領主本人が顔を見せることで何となく有難味が増すという効果を狙っている。いわゆる『営業』だ。
 今回は航路開設の周知や、陞爵と領地の加増に伴う伯爵領再編についてが主な内容である。いや、顔を繋ぐという意味では、雑談そのものが目的かも知れない。

 リシャールの側はラ・クラルテ商会も含めて領内の商人を王都内での利権に食い込ませようとしているわけでもなく、セルフィーユの商人はもちろんだが、加えてセルフィーユを訪れる他領の商人達が堅実に利益を上げれば良かった。まったく知らぬ存ぜぬで済ませるよりは、多少なりとも商業にも目を向けているぞと態度で示そうとした訳である。無論、リールをはじめとしたセルフィーユ周辺にも声を掛けている。リシャールが得たいのは、彼らが商売の後に残す商税であった。開発の進む領地に対して、人の増えるに合わせて足を向ける商人が多少でも増えるようにと願ってのことで、強引なやり口は全く考えていない。下手に手を出すと、余所でのいらぬ騒動に巻き込まれる可能性もあったから尚更である。
 対してリシャールの訪問を受けたギルドの重鎮達は、興味半分困惑半分と言ったところだった。セルフィーユを含むトリステイン東北部の伸長は彼らもそれなり以上に知っていたし、街道の工事にはゲルマニアが関わっていることも掴んでいたが、その効果には未だ懐疑的であった。総人口で三千と少しの地方領とその周辺地域に対してあれこれと入れ込むよりは、もっと大きな都市に力を入れた方が見返りは大きい上に、領主自らが挨拶周りをする理由を考えるに警戒感の方が先に出てしまうのだ。大きな商人ほど、それは顕著であった。貴族とその財力権力は利潤にも繋がるが、商人達にとっては厄介事の種になる場合も多々あるのだ。目の前にいるのは一見与し易そうな少年領主だが、少し調べればセルフィーユ家の背後にラ・ヴァリエール家が控えることは簡単に出てくる。当代のラ・ヴァリエール公爵があまり商売好き賄賂好きで知られた人物ではなかったことも、手を出しあぐねている原因の一つであった。
 
「乗り心地については軍艦なのでご勘弁頂きたいところですが、その分、料金は割安かと自負しておりますよ」
「確かに確かに。
 この距離がこの時間で結べますならば……」
 当たり障りのない会話に終始したが、こちらからはともかく、今のところは相手から賄賂などを匂わされるような気配もなかった。双方の思惑は多少ずれていたが、互いに警戒をしているのだ。
 そのことにリシャールが気付いたのは、ギルドの貴賓室を辞してからのことだった。

 それらを終わらせ、予定通り夕刻前に登城すると……。
「待っておったぞ、リシャール」
「久しいの、リシャール」
「公爵様? お爺様!?」
「何を呆けておる、宰相のところに行くのだろう?」
「ほれ、しゃんとせんか」
 王城への訪問は特に秘していたわけではないが、何故か同席する気満々に見える義父ラ・ヴァリエール公爵と祖父エルランジェ伯爵が、リシャールを待ちかまえていた。




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