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 1章

 
「やっぱり、宇宙人って言えば。その名に恥じない摩訶不思議な容姿をしてるはずよね!」
 客席の殆どが埋まった昼近くの喫茶店の中、注文を聞きに来たのであろうウェイトレスの存
在を完全に無視したハルヒの口から、その言葉は発せられた。
 普段なら「一緒に居る人間まで恥辱プレイに巻き込むのは止めろ」と無駄な苦情を入れるか、
「宇宙人に恥の概念があるのか?」と突っ込むか、もしくは妄言を無視してオーダーを済ませ
る所なのだが。
「摩訶不思議ってのは、例えばどんな感じなんだ?」
 この日の俺は、何の苦情も口にせずに相槌を打っていた。
 ま、それだけじゃ迷惑な客だから、コンクリートの様に固まった笑顔のウェイトレスさんに
片手でメニューを指さし、アイスコーヒーを二つ注文するのは忘れなかったが。
「ん〜そおねぇ……あ、海鮮物っぽいとか!」
 おいおい。
「そんな姿で町をうろついてたら、いくらなんでもすぐに見つけられるだろ」
 苦笑いで突っ込む俺に頭を下げて、ウェイトレスは厨房へと戻って行く。
 なんとなくだが、今注文したコーヒーを届けてくれるのは今の人とは違うウェイトレスにな
る気がするな。
「まぁ、そこはうまく人間に擬態してるんじゃないかしら。でもやっぱりどこか違和感があっ
て結局見つけられるのよ。あ! じゃあ超能力者って言えば、ちょっと影があって人付合いが
下手だってイメージない? 壮絶な過去があったとかそんな理由でさ」
 過去については解らんが……俺はやけに演技の上手い、営業職みたいな奴だと思うぞ。
 あと、テーブルゲームが激しく弱い。
「ん〜どっちも捨て難いわ〜」
 この、周囲の客がナチュラルに無視を決め込む意味不明な会話に、何故かハルヒは楽しくて
仕方ないって顔をしている。
「じゃあ参考までに聞くが、未来人はどんな感じだと思ってるんだ」
「未来に住んでるだけなんだし、姿形はあたし達とそんなに変わらないでしょ」
 ……まあ、そうだな。
「多分、口癖があったりとかそのくらいじゃないかしらね。あ、後ドジッ子とか」
「成る程ね……だが、ハルヒ。イメージを決めてかかるってのもまずくないか? 多分相手は、
人に見つからない様に気をつけてるはずだ。探す側に先入観があったら、見つかる物も見つか
らなくなるかもしれないだろ」
 俺としては問題点を指摘しただけのつもりなのだが、不思議とハルヒはその言葉に目を輝か
せて
「ちょっとキョンいい事言うじゃない! じゃあ、未来人と超能力者のイメージは逆って事で
いきましょう!」
 対面の席で片手を上へと伸ばし、そう結論付けるのだった。
 っていうか、いったいその発想のどこが「じゃあ」なのか、俺にはさっぱり解らないんだが
な……。
 ようやく届いたアイスコーヒーを口に含みつつ――予想通り、注文を受けた人とは違うウェ
イトレスさんが運んできてくれた――俺はまた、適当に相槌を打った。
 ――世界崩壊の危機を乗り切り、無事に元の世界へと戻れたらしい俺とハルヒは今、のんび
りと喫茶店で雑談をしている。
 今日の目的は市内探索じゃなかったのか? とか。
 何で例の三人は揃いも揃って休みなのか? とか。
 そしてここは本当に元の世界なのか? 等と、テーブルの向こうでご機嫌にしゃべり続ける
ハルヒとは違い、解ける気配も無い疑問を山程抱えていた俺なのだが、
「それでね? やっぱりそういう謎の存在は、それに相応しい謎の力を持ってる人の回りに自
然と集まるものなのよ! あんたも、そう思うでしょ?」
 ま、そうかもしれんな。
「へへ〜……うんうん!」
 ぞんざいな返事を返す俺を見て、何が面白いのか解らないがハルヒは楽しそうに笑っている
んだから……ま、いいか。
 ――ちなみに、この時のハルヒとの会話を俺は後になって苦笑いと共に思い出す事になった
のだが、今はとりあえず関係無いので忘れてくれて構わない。


「じゃあまた明日、学校でね!」
「ああ」
 その日は結局、店内からの視線も気にせずただ喫茶店でだべっただけで一日を終え、我が家
の妹が如く手を振るハルヒを俺は駅前の公園で見送った。
 結局喫茶店で昼も済ませてしまった、値段を気にして俺は比較的安価なAランチを、ハルヒ
も同じ物を食べていた。
 今考えればせっかくハルヒの奢りだったんだし、日頃の俺の散財を身をもって体験させる為
にもっと注文すればよかった様な気もするが……今更言っても始まらないか。
 せっかくの休みに、意味もなく古泉を働かせるってのも寝覚めが悪い。
 ――それにしても、今日は笑えるくらい何の成果も無かったってのに、妙にハルヒの機嫌が
よかったな……。
 のんびりと自転車を漕ぎながらの帰り道、俺は今日のハルヒの事を考えていた。話した会話
の内容は殆ど頭に残っていないが、思い出せるあいつの顔はどれも笑っていて、ここ数日続い
ていた不満気な表情は記憶の中のどこにも見つからない。
 あいつの挙動が普段と違うって事は、もしかしてこれはまた何かの前触れなのか?
 そんな漠然とした不安と――その中に、ほんの少しだけ混じっている未知の体験への好奇心。
 結果として、俺の顔に浮かんでいたのは……苦笑いだった気がする。
 やれやれ、これは谷口が言うようにハルヒが伝染ってきてるって事なのか?
 思い浮かんだ結論への反論が思い付く前に、のんびりと進んでいた自転車は我が家へと無事
辿り着いた。
 俺が自転車を玄関に片付けると同時、俺の動きを見ていたとしか思えないタイミングでポケ
ットの中に入れていた携帯が振動を始める。
 このタイミング……まさか。
 取りだした携帯のディスプレイに表示されていた名前は――
「やあ、どうも」
 これはやはりと言うべきなのか、そこにあったのは古泉の名前だった。
「お前だとは思ってたが、やっぱりお前か」
 ……まさか、機関ってのは冗談抜きで四六時中俺を監視してるんじゃないだろうな? 流石
にそれは笑えんぞ。
 別に視線を感じた訳じゃないが、何となくその場に居るのが落ち着かなくなった俺は家の中
へと身を隠した。
「おや? それはもしかして……僕からの電話を待ち兼ねていらした、という事でしょうか」
「じゃ、また学校でな」
「冗談です! ……一応、ね」
 どいつもこいつも馬鹿ばっかりだ。
「用件があるなら、俺に問答無用で切られる前にさっさと言った方がいいと思うぞ」
 俺はそれでも構わん。
 家族の姿も見えない無人の玄関を通り、階段を上がりながらそう言ってやると
「そうでした。我々の方で調査した結果をお伝えしておきます。確定、とは言えないのですが
……この世界はどうやら、涼宮さんによって改変された新たな世界では無く、解りやすく言え
ば我々が居た元の世界の様です」
 ……お前、そんな事をわざわざ調べてたのか。
「ええ。お陰で楽しみにしていた市内探索も泣く泣くキャンセルする事になりました。これも
任務の為とはいえ、悔やまれてなりません」
 わざとらしいって言葉を辞書で引いたら、そのまま引用されてそうな台詞だな。
 でもまあ、今お前が言った世界の事について、俺が多少気にしていたってのも少しはある。
「わざわざ教えてくれてありがとうよ、お疲れさん」
「いえ。それではまた、学――」
 古泉が喋り終える前にわざと電話を切り、目の前まで来ていた自室のドアを開け――
「おかえり」
 俺は、つい1秒前の自分の行動を激しく後悔した。
 ……古泉。お前、いったい何を調査したって?
 唐突過ぎる日常の終わり。
 殆ど飾り気の無い見慣れた自分の部屋の中、そこには「ここに居るはずがない」奴が俺を待
ち構えていやがった。
 当たり前の様に俺のベットの上に座り、こちらを見て笑っているそいつは――つい数日前、
メモの切れ端で俺を教室へと呼び出し、結果として長門によって光の粒に変えられて消えてい
ったはずの「朝倉涼子」だった。
 夕日で真っ赤に染まった教室。
 そこにいた朝倉の無邪気な笑顔。
 そして、迫り来るナイフの刃と飛んでくる無数の光の槍……。
 フラッシュバックの様に、あの時の異常体験が俺の脳裏を過ぎっていく。
 最後に見た時と同じ、北高の制服に身を包んで無邪気な笑顔を浮かべる朝倉の姿を見て、最
初に俺が取った行動は古泉との通話を終えたばかりだった携帯に指を走らせる事だった。
 電話帳、あかさたな、長門!
 最悪通話ボタンだけでも押せればいい、長門ならそれで何とかしてくれるはずだ!
 俺はそう願いつつ、長門の名前を選んで通話ボタンを押した――んだが……おい、嘘だろ?
「無駄なの」
 携帯から聞こえる不通の電子音に紛れて、朝倉の声が聞こえてくる。
 その声と同時に、携帯の左上に表示された圏外の文字に俺は気が付いてしまった。
 ……情報制御空間……だったか? あんなとんでも世界を作れるくらいだ。ただでさえ電波
状態が良好とはいえない俺の部屋を圏外にする事など、こいつには造作も無い事なんだろう。
 ずっと笑顔で俺を見つめる朝倉、その顔を見みて溜息をつきながら……俺は部屋の中へと入
って扉を閉めた。
 ――俺には、ここで逃げるって選択肢もあったのかもしれないが……だがそれは、下手をす
ればもうすぐ帰ってくるはずの妹や家族までをも危険に晒す事にもなっちまう。
 朝倉がどうやって復活し、更にここに現れる事が出来たのか何て事は知らないが……こいつ
が俺に何を望んでるのかくらいは解るさ。
 ――だって、あたしは本当にあなたに死んで欲しいんだもの。
 思わず記憶の中で蘇った朝倉の迷いの無い言葉に、俺は自分の最後を悟った。
 せっかく、世界を崩壊から守ったらしいのになぁ……神ってのは、ハルヒ並みに無常らしい。
 朝比奈さん、最後までお付き合いできなくてすみません。
 長門。悪いが後は頼んだぞ。
 ハルヒ……あんまりみんなに迷惑をかけるなよ? 少しは大人しくなれ。
 ああ、後ついでに古泉。がんばれ。
 っていうか、これから自分が死ぬ事になるだろうってのに余裕だな。俺。
 それ程時間の猶予もないだろうと思い、適当に脳内で友人達に別れを告げた後、
「朝倉、一つ頼んでいいか」
 駄目で元々、俺は未だにベットの上でじっとしている朝倉に口を開いた。
「えっなあに?」
 殺さないでくれって言いたいが、まあそれは無理なんだろうし
「俺としては家族を驚かせたくない、妹もまだ幼いしな。……無駄な抵抗はしないから、出来
るだけ静かで、無理かもしれんが自然な形で頼む」
 ついでに、痛くも無ければさらに有り難い。
「もちろんあたしもそのつもりだけど……あの、何か勘違いしてない?」
 俺の提案に対して、朝倉は意外そうな声を上げた。
 何だ、まさか俺を殺す以上にハルヒを動揺させる方法でも思い付いたってのか?
 無駄とは思いつつも、槍で串刺しにされる以上のインパクトとは何なのかを考えていると、
「……あ、もしかしたら結果としてそうなるかもしれないんだけど……。でも、もうあたしに
は他に選択肢は残されていないんだし」
 何故か照れる様なそぶりで結論を言い淀んでいた朝倉は、やがて何かを決意したのか小さく
頷いた後、
「あのね? えっと、いざ言うとなると照れるなぁ……。あ、あたしをね? その……ここに、
置いて下さい」
 俯きつつ、上目使いで俺にそう聞いてくるのだった。
 あまりにも意味不明な朝倉の言葉に固まる俺だったが、それっきり朝倉は何も言おうとはせ
ず、ただ恥ずかしそうに視線を泳がせるだけ……って。これ、笑うとこ?


「責めるつもりじゃないんだけど、あなたにも責任が無い訳じゃないのよ?」
 そう言って唇を尖らせる朝倉からなんとなく視線を外しつつ、俺は自分が現在置かれている
状況の整理に追われていた。
 事の始まり、朝倉の説明によるとそれは数日前に起きた「あの」世界での事らしい。
 ハルヒと一緒に閉じ込められたあの世界で、ハルヒに俺は「元の世界」へ戻りたいと言った。
 それは朝比奈さんや長門、ついでに古泉の願いでもあり、俺自身もこれまで一緒に過ごして
きたSOS団の皆や、他何人かの友人にもう一度会いたいと本当に思ったからであって――そ
れと、その。何だ。
「正直驚いたんだけど……ちょっと、嬉しかったかな」
 否定は出来ない、あの時俺は確かに言ってしまったのだ……「そこに、消えちまった朝倉を
加えてもいい」と。
「つまり、ハルヒが元の世界へ戻る時。俺が言った言葉通りに……」
「そ、あたしも一緒に復活しちゃったの。詳しい事はまだ解らないけど、現状で考えられる一
番大きな可能性はそれみたい」
 ……なあハルヒ。元の世界に戻るにしても、何もかも俺が言った通りにするってのはいくら
なんでも短絡的過ぎないか? 前にも言った気がするが、ちょっとは考えろよ。
 数日振りに戻ってきた頭痛に頭を抱えていると、
「それでね? 思念体はあたしが涼宮さんの創造物だからって事で、対応に困ってるみたいな
の。暴走したインターフェースなんてすぐに破棄しろって意見から、貴重なサンプルだから保
護しようとか……とりあえずは、答えが出るまでどこかに隠れてろって」
 お役所仕事だな、おい。
「だったら自分の部屋に帰ったらどうだ」
 よく解らんが、あそこならオートロックもあるし安全だろ。
「それは無理よ……統合思念体から、長門さんに見つからない様にって言われてるし」
 ん? って事は、お前が復活した事を長門はまだ知らないのか。
「もちろん秘密。でなきゃ、こうしてあなたと二人っきりで居られるはずないじゃない」
 いや、そんな当たり前みたいに言われても俺には解らんのだが。
 ……でも待てよ。
「朝倉、お前も宇宙人ならどっかの壁の隙間に空間でも作って、そこに部屋の一つや二つ準備
出来たりしないのか?」
 俺の中の宇宙人は、何ていうかそんな万能なイメージなんだが。
「本当、そんな力があれば良かったんだけどね……。統合思念体の助力があれば今あなたが言
った様な事も出来なくはないんだけど、今のあたしは保護観察中の身だから」
 よく解らんが、出来ないって言いたいんだな。
「そう」
 長門の説明よりは解りやすいから助かるよ。
「つまり、お前はその上層部とやらの返答がくるまでの間、俺の家に匿って欲しいと」
「そうなの! 」
 うん、それ無理。
「……なあ朝倉、普通に考えてみろ。ごくごく普通の特殊な背景等一つも無い一般家庭に、あ
る日突然同居人が一人増えるって事がどれだけ無茶苦茶な事か解って「キョンくん! 誰か来
てるのー?」
『教訓その1 部屋に入る時はノックをしろ。返事がなければ入ってはいけません』
 俺が繰り返し教え込んできた人生において重要でなお且つ尊いこの教えを、どうやら我が妹
は、記憶媒体の一時キャッシュにすら残すつもりは無いらしい。
 罪悪感を欠片も感じさせない顔で部屋に飛び込んできた俺の妹は今、俺の顔を何も考えてい
ない様な顔で見て、実際何も考えていないのだろう。
 思わず固まる俺と、そんな俺を見て笑顔でいる朝倉。
 さて、「俺の話を聞かない奴選手権一位」を誇る自分の妹に対して、玄関に靴も無く突然現
れ、しかも俺のベットの上に当たり前のように座っている朝倉の事を何て言い訳すればいいの
かと考えていると、
「あれぇ、一人でお話してたの?」
 ……は? 一人?
「変なキョンくん」
 宝箱の中身は空だった、みたいなつまらなそうな顔で、妹はあっさりと部屋から出て行った。
 え? あ、あれ?
 扉が閉められたのを見届けた後、
「ごめん、言い忘れてたね。今あたしの回りには、特定対象にしか見えない様に不可視と遮音
フィールドが展開してあるの。だから、あたしの姿も声もあなたにしか感じられないから安心
していいよ?」
 あのなぁ……そういう大事な事は先に言えよ。
 つまり、声とか姿でお前が家の家族に見つかる心配はしなくていい。そうなんだな?
「うん大丈夫。でも、お風呂とかおトイレはどうしようかな……あ、よかったら一緒に入る? 
あたしは別にそれでもいいよ」
 おい待て、何で居候を許した前提の話になってるんだ。
 ひょっとして、なし崩し的に話を進めようとしてないか?
「てへっ」
 てへっ、じゃねー! ……っと、あまり大声を出すとまずいな。
 妹がまた乱入してきても面倒だし、いよいよ危ないと感じて親でも呼ばれたらもっと面倒だ。
 慌てて口を閉ざす俺を、朝倉は何故か目を細めて眺めている。
「何だ。言いたい事は言った方が精神衛生上いいと思うぞ?」
 どうせろくでもない事なんだろうけどな。
「えっと……あのね? 今、こうしてキョンくんと普通にお話してる事が凄く楽しいの。長門
さんに情報連結を解除される前はこんな風に感じた事なんて一度も無かったのに……どうして
なのかな?」
 小首を傾げる朝倉は、何が楽しいのか解らんが確かに無駄に嬉しそうだ。
「……さあな」
 悪いが、俺が知ってる宇宙人はお前以外じゃ長門一人しかいないんだ。そんな細かい心理的
な事まで解るはずもない。
 それに朝倉の場合、むしろ普通の人間より人間らしい位だから鈍いと評判の俺が多少の変化
に気付ける訳がない。
 勘がいい朝倉だけに、何となく溜息をついていた俺を見てそこに何かを感じ取ったんだろう。
「……うん。やっぱり、無理にとは言えないよね」
 そう言いながらベットから立ち上がった朝倉は、俺を見て優しく微笑んでいた。
「ありがとう、話を聞いてくれて。あたしの事は気にしないでね? キョンくんが気にしなく
ちゃいけない理由なんて無いし、暫くの間住む場所も多分何とかできると思うから」
 丁寧に頭を下げる朝倉の言葉に、俺はまた自然と溜息をついていた。
 ――やれやれ、これで普通の暮らしを続けられそうだ……なんてのとは逆の意味の溜息をな。
「……なあ、一つ聞いていいか?」
「何? 答えられる事だといいんだけど」
「朝倉。俺を教室に呼び出したあの日、お前は俺を殺そうとしたんだよな」
 その質問の内容に、朝倉は顔を暗くした。
「……うん。謝ってすむ事じゃないけど、ごめんね……」
 いや、それはどうでもいい。俺が聞きたいのは謝罪なんかじゃない。
「え?」
「あの時、お前はハルヒを刺激するとか意味不明な理由の為に、俺を殺す事を躊躇いもしなか
った。なのにどうして今はそんなに弱気なんだ? 言っておくが、ナイフで脅して欲しいとか、
実は俺に自殺願望があるとかそんな事は微塵もないぞ。ただ……今のお前と、あの時のお前が
どうしても重ならない気がするんだが」
 これから、目前に居る対象を殺そうとする紛れも無い殺意。そう、あの時俺は本気で朝倉に
殺されると思った。
 マジでくたばる5秒前。本気のヤバさとは何かを、俺はあの時実感したんだ。
 あれが全部演技だったとは……俺には、どうしても思えない。
 だが、今ここにいるのはただ人をからかうのが好きなだけの普通の同級生に見える。という
か、そうとしか見えない。それはいったい何故なんだ?
「ん〜……困っちゃったな。えっと……」
 返答に困るって事は、
「もしかして、それもハルヒに関係がある事なのか」
「あ、違う違う。そうじゃないんだけどね? ごめん、今は……答えられないな」
 ……そうかい。
 俺達の間に再び流れる間の悪い沈黙、それを破ったのは朝倉からだった。
「じゃあね。お邪魔しました」
 あの時と同じ様に殊更軽い口調で言い残し、朝倉は俺に横を通って部屋を出て行こうとする。
 その横顔に向かって……何を言ってるんだろうなぁ、俺。
「いいぞ」
「――え、いいって何が?」
「だから……居候させてやるって言ったんだ」
 何度も言わせるな。
「ほ、本当にいいの?」
 知るか、そんな事。
 つい先日自分を殺そうとした相手と一緒に生活するなんて選択肢を選んだ俺に、まともな思
考が出来ているはずがない、それ位の事は自分でも解ってる。
 解ってはいるが……逆に言えばそんな頼み難い相手を頼らなくちゃいけない程に、朝倉、お
前は困ってるって事なんだろ?
 自分の部屋には戻れないらしいし、こんな事情を話せて理解してくれる様な友達が居るとも
思えないからなぁ……。
 一人でどこへでも行けばいいって本気で思ってしまえる相手なら――あの時俺は、お前の名
前を口にしたりしてないんだよ。
 そんな俺の内心を知るはずもない朝倉は、歓声を上げながらベットの上で跳ねまわり、単純
に俺の返答を聞いて喜んでいる様だった。
 やれやれ、こんな面倒事を自らしょい込んでるんだ、当たり前の日常が恋しいなんてのは、
もう俺が口にしていい言葉じゃないな。
「確認しておくが、泊めてやるのは急進派って奴の考えが決まるまで。それでいいんだな?」
「うん! 」
 よし、いい返事だ。
「それと、もう一つだけ条件がある」
 どっちかって言えばこっちが重要な事だ。
「なあに? 泊めてくれるんだから何でも言う通りにしてあげるよ?」
 女子高生が同級生男子の部屋でそんな事を軽々しく言ってはいけません。
「朝倉。お前の上司がどんな結論を出したとしても、それをちゃんと俺に教える事。それが、
お前をここに置く条件だ」
 俺の言葉に朝倉は元気よく右手を上げ、
「はーい解りました。あ、もしキョンくんを殺せって指示が来ても、ちゃんと拒否するから安
心してね」
 いや、それは確かに大事な事なんだが、俺が言いたかったのはそういう意味じゃなくて……
まあいいか。
「それじゃあ、しばらくの間お世話になります。不束者ですが、どうぞよろしくね」
 ――こうして、俺と朝倉の奇妙な共同生活が始まってしまった訳だ。
 しみじみと思う……自業自得だと。


「キョンくん! ご飯出来たって〜」
 階下から響く妹の声に時計を見ると、なるほどすでに夕食の時間だな。
「ああ、今行く! ……ん、そう言えば朝倉。お前食事はどうするつもりだったんだ」
 一緒に食べるって訳にはいかないだろうし、俺以外には見られないですむにしても、冷蔵庫
や鍋の中身がいつの間にか減ってたら色々とまずいと思うんだが。
「ん〜そうね。深夜にコンビニとかへ買い出しに行こうかな?」
 それって大丈夫なのか?
「まあそれくらいなら。自分に対する情報の変更はごく小さな力で出来るから探知されにくい
し……って。ごめん、解りやすく言えば、夜中の外出位なら見つからないと思うの」
 わざわざどうもご丁寧に。
 そっか、じゃあ戻ってくるまでおとなしくしてろよ。
「は〜い」
 笑顔で手を振る朝倉を残し、俺は部屋を後にした。


「ねえねえキョンくん、誰とお話してたの?」
 なんの事だ。
「キョンくんのお部屋から聞こえた声の事〜」
 ああ、その話か。あれはただの独り言だよ。
「え〜でも、誰かが居たような気がする〜」
 最近は突発性独り言症候群ってのが流行ってるんだ。うつらない様に、手洗いとうがいはち
ゃんとするように。
「変なキョンくん」
 そうだな、自分でもそう思う。
 ――その日の夕食の間、俺は妹の執拗な追求を延々とかわし続けることになった。……こい
つ、隠し事に関してだけは異常に勘が良いからなぁ。
 今夜だけの問題じゃないんだし、何か対策を考える必要があるかもしれん。


 夕食後。シャワーを終えた俺が、押し入れの中から持ち出した防虫剤の臭いがする客用の布
団を抱えて部屋に戻ると
「あ、おかえりなさい」
 朝倉は俺の机に座って本を読んでいる所だった。
 さて、返事をする前にまずやる事は……と。
 ベットの上に布団を下ろし、俺は本棚の前へと向かった。
 一度読んだっきりの本が並ぶ列の端、本よりは少し高さが低いプラスチックのケースの一つ
を俺は取り出した。
 適当に選んじまったが……まあどれでもいいか。
 見覚えのないプラスチックのケースの中身は、やはり見覚えのない円形のディスクが入って
いる。何回かは聞いたと思うんだが……どうにも興味のない事は覚えていられない。
「あ、それってCD?」
 ああ。
 おそらくフリスビーではないと思うぞ。
「ふ〜ん。キョンくんって、普段はどんな曲を聞くの?」
 ん〜……特別、好きなジャンルがあるわけじゃないな。
 流行りの音楽がどんな曲なのかも知らないし、このCDだって以前谷口がくれた奴だ。
 再生ボタンを押して数秒後、スピーカーから流れ出した音楽には何となく聞き覚えがあった。
 これって確か映画か何かのサントラだよな、タイトルは思い出せないが。
「いつもこうやって音楽を聞いてるの?」
 朝倉の質問に答える前に、俺はスピーカーから流れる音量を適当に設定しなおした。
 あまり大きいと逆効果だろうし……よし、こんなもんだろ。
「いや、妹が俺の声が気になるらしいからかけてみただけだ」
 お前の声が聞こえない以上、延々と独り言を言ってる危ない奴だからな。
「……ふ〜ん。なんだかこういう事態に慣れてるみたいで意外かも」
 何を馬鹿な事を、宇宙人を居候させるなんて初めての事に決まってるだろ?
「お前が最初で間違いない」
 そう言って溜め息をつく俺に、何故か朝倉は「本当かな?」とでも言いたそうな顔をしてい
る、こいつはここがNASAアメリカ航空宇宙局だとでも思ってるのだろうか。
 俺は居候希望の宇宙人の真意を考えるのは止め、黙って布団敷きに専念した。
 ――さて、これで寝る準備はいいな。
 布団の準備を終え、一息ついた俺だったんだが。
「なあ、お前着替えはどうするんだ?」
 今まで気にしてなかったが、朝倉はまだ制服姿のままなんだ。
「えっ、このままじゃ駄目かな」
 だめじゃないが、そのまま寝たら皺になるだろ。それに、部屋の中で制服姿で居られたらこ
っちも寛げない。
 ――ついでに言えば、北高のスカートは丈が短いから視線のやり場にも困る。
「そっかぁ……皺の事はアイロンを借りられたらどうとでもできるけど、服を構成するのはち
ょっと厳しいかも」
 厳しい?
「うん。物質の構成はそれなりに大きな操作になるし、もしかしたら長門さんに気付かれちゃ
うかもって意味で」
 ああ、成る程な。
「よかったらなんだけど、キョンくんの服を借りてもいい?」
 別に構わないが……お前が着るような服は持ってないと思うぞ? 当たり前だが。
 とりあえずクローゼットを開けてやると、朝倉は物珍しそうな顔で中に詰め込まれた服を眺
めていた。
「へ〜色んな服を持ってるんだね。……あ、これいいかな?」
 そう言いながら朝倉が指差したのは、北高の制服のシャツ。いやまあ洗い替えが何枚かある
からそいつを貸す事に問題は無いが、
「で、下はどうするんだ?」
「下って?」
「スカートだよ。俺にはよく解らないが、スカートってのは寝る時他の何かにはきかえる物な
んじゃないのか?」
 ……おい何だ、そのにやけ顔は。
「あれ、キョンくんとしては何か履いてた方がいいのかなぁ?」
 お前は何を言ってるんだ?
「人をからかうんじゃない。部屋を出ててやるから適当に選んでさっさと着替えろ」
 シャツを片手に楽しそうに笑う朝倉を無視して、俺は部屋を後にした。


 それから、リビングで10分程暇を潰してから部屋に戻ると、
「おかえり。どうかな、おかしくない?」
 ワイシャツ姿に着替えた朝倉が布団の上に座っていて、壁にはさっきまで着ていたらしい朝
倉の制服が掛けられていた。
 ……なんか、セーラー服が壁にかかってるだけで急にこの部屋が危ない部屋に見えるのは気
のせいだろうか?
「大丈夫、その服もあなたにしか見えない様にしてあるよ」
 俺の視線を追って先に答える朝倉は、どこから見つけたのか知らないがスカートの代わりに
夏物の半ズボンを履いていた。っていうか、お前が履いてるとホットパンツみたいだな。
 見る角度によっては何も穿いて無い様にも見えるが、そんな指摘をすると「だったら何も穿
かなくてもいいよね」とか言い出しそうだから黙っていよう。
 まあ見た目はともかくとして、
「そんな恰好で寒くないのか?」
 先週梅雨入りしたばっかりだし、夏はまだ少し先だぞ?
「大丈夫、普段はもっと薄着で寝てる位だし」
 それ以上薄着って……まあいい、宇宙人の服装感覚はよくわからん。
 そういえば、長門も部屋では制服のまま生活してるみたいだったっけ。
「じゃあ寝るか……あ、そうだ朝倉。お前は上だ、ベットを使え」
「え? どうして?」
「夜中にトイレとかで起きた時、お前の上を通るのが嫌だからだ」
 相手が実は宇宙人の朝倉とはいえ、自分が妙な気を起こさないとも限らないしな……寝ぼけ
て命の危険を冒すのもごめんだし、リスクは低い方がいいに決まってる。
 俺に言われて布団を明け渡した朝倉は、ベットの中に入りながら楽しそうな顔をしている。
 何だ、言いたい事があるなら電気を消す前に言え。
「ねえ、あたしはキョンくんの上を通ってもいいのかな?」
 好きに通ればいいさ。
 いくら家主だからって制空権まで主張するつもりはない。それに、寝ている所を踏まれるの
は妹相手で慣れちまってるしな。
 溜め息をつく俺を見て、朝倉は更に目を細める。
 意味深な視線を送る宇宙人は暫く沈黙した後、
「……じゃあ……。もし、あたしが間違えてあなたの布団に入ってきたら……どうする?」
 ――本当、お前は長門と足して二で割ったくらいの性格でいいと思うぞ。
 にやけ顔の宇宙人を結構真面目に睨んだ後、
「その時は廊下に叩き出す、以上」
 俺は室内でのマナーを宣言してから、部屋の電気を消した。


 ――いつもとは違う布団の感触と、自分以外の誰かが部屋に居るという事実。突然起こった
この生活環境の変化に俺は――「おはよう。キョンくん、もう朝だよ?」
 ……早々と順応して、ぐっすり眠り込んでいたらしいな。
 俺が目を醒ました時、すでに朝倉は制服姿に戻っていた。寝る時に着ていた服は今、制服が
あったのと同じ場所にかけられている。
「あんまり気持ち良さそうに寝てたから起こさなかったんだけど、そろそろ起きないと遅刻し
ちゃうと思って」
 ベットではなく、机に向かって椅子に座っている朝倉の前には、どこかで買ってきたらしい
サンドイッチやジュース、それといくつかの洋菓子が並んでいた。
 机一杯に。
「……なあ、それってもしかして朝食なのか?」
「そうだよ」
 何て言うか……見ているだけで血糖値が上がりそうな内容だな。
「摂取したカロリーを体内で自由に分配出来るから、一日一食でも平気なの。あ、よかったら
一つ食べる?」
 いや、いい。遠慮しておく。
 差し出されたサンドイッチを丁重に断り、俺は顔を洗う為部屋を後にした。


 朝倉がいくら何とかインターフェイスだとしても、一日中一人で部屋に閉じこもっているの
はやはり退屈だろう。
 そう考えた俺はリビングにあった新聞を手渡し、ついでに部屋の中の物は好きにしていいと
だけ伝えておいた。
 朝倉の事だ、後は何か困った事があっても臨機応変に上手くやるだろ。
「いってらっしゃい。気をつけてね」
 やけに嬉しそうに手を振る朝倉に見送られ部屋を出る時、俺は長門に事情を説明して朝倉が
部屋に戻れる様に頼んでやろうかとも思ったのだが……
「……これってさ、なんだか新婚生活みたいじゃない?」
 どうにも人をからかうのが好きな宇宙人の顔をドアを閉める事で視界から隔離し、俺はつい
さっき浮かんだ考えを放棄した。





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