部屋のドアを閉めた時、あたしはやっと逃げ切れた気がした。
 力なくベットへと歩いていき……そのまま倒れこむ様に布団に飛び込む。
 あたしの下敷きになった抱き枕は苦そうだけど……ごめんね、今は体をずらすだけの力がな
いのよ。
 落ち着いてくるにつれて浮かんでくる、ついさっきの事。
 ――今日のお前、可愛かったぞ。
 思い出したその言葉に、布団で隠れていない耳が赤くなるのがわかる。
『焼き芋のお礼』そんなこじつけでしかない理由で、今日のあたしは素直になれた。
 いつもは恥ずかしくて出来ない事もできて、言えなかった言葉も言えたわ……。キョンはな
んだかくすぐったそうだったけど、絶対気に入ってくれたはずよ。
 ――当たり前、だろ?
 いつもより優しい顔をして、キョンはあたしに言ってくれた。
 凄く、嬉しくて。
 凄く、どきどきして。
 キョンの腕の中から離れたくない、本気で思った。
 その時の感触を思い出すように、そっと抱き枕を抱きしめる。でも、それ以上先は思い出し
たくなくて……でも、やっぱり思い出したいような……思い出したくないような。
 ――なあ、ハルヒ。
 今までで一番近くから聞こえてきたキョンの声。
 その声に顔をあげたあたしの目を見つめて、キョンはそっと呟いた。
 ――俺達、付き合わないか?
 ……あまりにも普通に告げられたその言葉が、それまで夢の中でしか聞いた事が無かったキ
ョンの告白だって気づいた時……。
 ベットで寝転んだままの自分の体が、静かに震え始める。
 思い出したくない、でも忘れる事もできそうにない。
 ――あたしは……キョンの腕をふ、振り払っ……て……。
 
 
 パァン!!!
 通りに響き渡る、まるで教科書が水平を保ったまま床に落ちたかのような音。そして、何故
か顔から真横に飛んでいくキョンが地面に倒れる姿。
 ……なんでキョンが倒れたのか? あたしが平手打ちをしたからよね、わかってるわよ。
 歩道の脇に倒れたキョンに向かってあたしは……あたしは……。
「ば、ばかキョン!!!」
 

「あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”ーーーーー!!!!」
 今更ベットの上で転がってもどうにもならないけど、転がるしかないでしょ?!
 地面に転がったまま、きょとんとした顔であたしを見上げていたキョンをバカ呼ばわりした
あたしは、そのまま逃げるように帰ってきてしまった。
 バカは誰? ええ、聞くまでも無いわ、あたしよ。告白された相手を張り倒して、そのうえ
バカって……な、何を考えてるのよっ?
 腕の中で耐久度の限界を告げる悲鳴をあげていた抱き枕を放り出し、あたしは携帯電話に飛
びついた。
 いい、まずは落ち着くのよ。えっと……キ、キ……で、電話できる訳ないじゃないの!
 被害者第二号。
 放り投げた携帯電話は布団の上で跳ねて壁にぶつかり、音を立ててベットの裏へと消えてい
った。
 
 
 カカオ
 
 
 翌朝、あたしはいつもよりも早く学校へ向かった。
 何故って? もしもキョンが先に学校にきてたら、どんな顔をして教室に入っていいか解ら
ないんだもの。
 予想通り無人だった教室に入り、自分の席に座る。
 目の前にあるキョンの席を眺めながら……あたしは大きな溜息をついた。
 せっかく静かなんだから、今のうちに作戦を練らないとね。机に突っ伏したあたしは、目を
閉じて真剣に考え始めた。
 キョンが来たら、なんて話しかけよう? ま、まずは謝るべきよね。
「うぃーす。……なんだ涼宮だけか」
 なんか谷口の声が聞こえたけど無視無視。
 えっと……叩いてごめんね! ……全然謝ってないわね、これ。
 ごめ〜ん許して! ってあたしはそんなキャラじゃないし……。
 昨日はごめんなさい。うん、これね。シンプルな方がいいわ。……っていうか、謝る事より
もっと大変な事があるのよ……ね。
「あ、涼宮さんおはよう。今日は早いんだね」
 今度は国木田君か、悪いけど今は忙しいの。
「おいやめとけって。何だか知らんが今日はいつもに増して機嫌が悪いみたいだ。触らぬ何と
かに祟り無しって言うだろ」
 言い返さないと思って好き勝手に言ってくれるじゃない、後で覚えてなさいよ。……って、
そんな事はどうでもいいのよ! 問題は……。
 急に顔が熱くなるのがわかる。そうよね、熱くもなるに決まってるじゃない。
 ……問題なのは、キョンの告白に何て言って答えればいいのか? って事。
 それからしばらくの間、答えが出ない問題にあたしが唸っていると
「おはよう」
 不意に頭上から聞こえた何気ない声。
「あれ、どうしたのキョン、その顔。風邪?」
 遠くから聞こえる驚いた国木田君の声。
「ん、まあ色々あってな」
 ゆっくりと顔を上げた先にあったのは。
「よう」
 左の頬を真っ赤に腫らしたキョンの顔だった。
 な、なんでこんな早い時間に? まだキョンが来る様な時間じゃ?
 驚いて時計を見ようとすると、時間を見る以前に教室の中はクラスメイトの姿で溢れかえっ
ていた。
 考え事をしている間にいつの間にか時間が過ぎてたなんて……どうしよう、あたしまだ何て
言えばいいのか思いついてないのにっ?!
 自分の机に辿り着いたキョンは鞄を置いて、すぐにあたしの方へ振り返った。
「……ハルヒ。その、昨日の事だけどな」
 ま、待って! まだ何て言えばいいのか思いついてないのよ?
 慌てて手を振るあたしに、キョンは戸惑っている。
 えっと、とにかくまずは謝るしかないわ!
 落ち着く為に深く息を吸って、そっと吐き出す。
 うん……大丈夫。言えるわ。
 何度も心の中でリハーサルを繰り返し、そのたびに頷いていたあたしを見て、聞く準備がで
きたってキョンは思ったのよね……。
「お前と付き合いたいって「ごめんなさい!」
 ………………えっ?
 頭を机にくっつくくらいに下げて謝ったあたしは、その勢いのままに顔を上げた。
 目の前にあるのは悲しい笑顔を浮かべたキョンの顔。ついでにクラスメイト達の視線。
「ま……待っ「おおおおおおおお!! キョン! お前もついに俺の仲間入りかよ?!」
 あたしの声は、無駄に元気よく走ってくる谷口の声で掻き消された。
「しかも俺より圧倒的に短い最短記録とは恐れ入ったぜ! 2秒か? いや、1.3秒って所
だったな。まさか涼宮の告白撃墜記録が更新されるとはな〜しかも、こいつは一生更新されな
いであろう最高記録だ!」
 違うの! って言いたいけど、キョンの悲しそうな顔の前にあたしは何も言えなかった。
「おい国木田! 今日はキョンと席を替わってやれ!」
「なんでさ」
「お前には傷心の友人を思いやる気持ちってのが無いのかよ?」
 うるさい! ばか! だまれ谷口! 声に出せないあたしは心の中で叫ぶ。
「って話だけど、キョン。どうする? 僕は代わってもいいよ」
 国木田君の言葉に、キョンは迷う様な顔をした後にあたしの顔を見た。
 行かないで! ……たったそれだけの言葉が、今はどうしても出てこない。
 手を伸ばしていつもみたいに無理やり掴んで引き止めたいのに……今はキョンが、何だか遠
く感じる。
 違う。自分で遠ざけてしまった。
 何も言えなかったあたしに文句を言う権利なんてない。
「……代わってくれ」
 そっとあたしから視線を外して、キョンは国木田君にそう言うのだった。
 
 
「よ〜し授業を……ん? 国木田、何で今日は席が違うんだ」
 授業開始直後の岡部の質問に、挙手をして
「キョンが失恋中なんです」
 国木田君はそう答えた。
 数秒の沈黙、そして
「そうか、失恋じゃ仕方ないな」
 あっさり納得した岡部にも腹がたったけど……それ以前に自分がどうにかなりそうだったわ。
 なんなの? せっかくのチャンスで……ま、また断わるって?!
 物理的に遠くなってしまった席に座るキョンは、疲れた顔で黒板とノートを見比べている。
 あたしの席からはちょうどキョンの腫れた頬が丸見えで、叩いたあたしが泣きそうになって
しまった。
 なんであたしはあんな事をしてしまったの?
 ――悔やんでも、どうにもならない。
 どうして、素直に頷けなかったのよ。
 ――電話する事も、家に行くこともできない。
 あたしって……あたしってこんなに弱かったの?
 泣きそうになったあたしの視線に気づいて、キョンは……ばか……ばかぁ!
 キョンは何も言わないまま、口の動きで「わるかった」と伝えて来たのだった。
 
 
 自分を責め続けるだけの授業時間が終わり――放課後。あたしは1人、部室へと走った。
「あ、涼宮さん」
「……」
 部室に居たみくるちゃんと有希の視線を気にしつつ、あたしは自分の席に座る。
 ……昨日は、キョンが座っていた自分の席に。
 俯いたあたしの隣で、みくるちゃんは心配そうにあたしを見ていた。
「ねえ、みくるちゃん」
「はい」
 いつもと同じ、優しい笑顔のみくるちゃんに聞いてみた。
「どうしたらいいと思う?」
「え? あの、その」
 ……そうよね。これじゃ質問になってないから、答えられないわよね。
 でも、何が問題なのかを言う事もできない。
 自分ではわかっているの。
 一番の問題は、素直じゃないあたしだって事。
 素直に謝れない。
 素直に好きだと言えない。
 恋愛感情なんて気の迷いだってあたしはずっと思ってきた、でも……今は違う。
 街を歩くカップルの誰もが、こんなに苦しくて、こんなに切ない思いを乗り越えて恋愛をし
てきたんだと思うと尊敬すらできるわ。
 ……でもね、あたしにとっては昨日のあれが限界なのよ。
 適当な理由で自分を誤魔化さなければ、相手に素直な気持ちを伝える事すらできない。
 自分への素直な好意に、うんって言う事もできない。
 でもあたしが見て欲しいのは、そんな偽りじゃない本当のあたしなの。
 もう、どうしたらいいのよ……。
 机に塞ぎこんでいたあたしに聞こえてきた扉を開ける音、そして
「遅れてすみません」
「どうも」
 古泉君と……力の無い、キョンの声。
 あたしは顔を上げないまま、じっとその声に耳をすませていた。
「わっ。……キョン君、その顔どうしたんですか?」
 驚くみくるちゃんに、
「あ、風邪とかじゃないので心配しないで下さい」
 よくわからない返答をするキョン。
 どう考えても悪いのはあたし、なのに……。
「言えばいいじゃないの!」
 もし、できるのなら自分を張り倒してあげたい。
 立ち上がったあたしはキョンに向かってそう怒鳴っていた。
 威勢のいい事を言ってるけど机の影で自分の足が震えてるのがわかる。
「何をだ」
 無茶苦茶な事を言われてキョンが怒るのは当たり前、なのに自分の口は止まってくれない。
「あたしに張り倒されたからそうなったって、みんなに言えばいいじゃない!」
 ――誰か……どんな方法でもいいからこのバカを止めてよ。
 暫くの沈黙の後、
「おやおや、早くも痴話喧嘩ですか?」
 場を取り成そうとしてくれているのか、古泉君がそう言ってくれたけど。
「痴話喧嘩も何も、俺とハルヒは付き合ってない。昨日のはハルヒの演技だったんだよ」
 言い返すキョンの声は怒ってなかった。
 ただ、悲しそうだったの。
 キョンの視線が、ゆっくりとみんなの顔を見回していく。そして、
「ハルヒ」
 あたしの顔を見て告げられた声。
 優しい、声。
「何よ」
 突き放すようなあたしの声に、キョンは小さく笑った。
「お前の気持ちを知ってて、ここに顔を出して悪かったよ」
「あたしの気持ちって……」
 あ、あたしは……あたしはね?
「……安心しろ」
 キョンはそっと目を閉じて、
「もう、ここには来ない。今までありがとうな」
 視界が急にぼやけて、何かが頬を濡らして――あたしの中で、何かが弾けた。
 ダンッ!
 あたしの体は団長椅子を踏み台にして机の上へと飛び乗り、そのまま長テーブルの上へと飛
び移る。
「す、涼宮さん?!」
 考える事を止めたあたしの体は長テーブルの上から更に飛び上がり、扉に手をかけたまま固
まっているキョンの目の前に着地した。
 あたしを見る驚いたキョンの顔、痛そうな頬。
 その顔があっという間に近づいて……そっと唇が重なる。
 キョンのネクタイを掴んだあたしは、無言のまま無理やりキスを奪っていた。みんなが居る
って事も解ってたはずなのに、何も気にならない。
 今のあたしに見えるのは、驚いたキョンの顔だけ。
 その顔を見ているだけで、あたしは自分が満たされていくのを感じる。
 ――認めるしかない、あたしはこいつに惚れてるのよ。……本当、どうっしようもないくら
いにね。
 キョンのネクタイから手を離した時、自分がキスをする為に爪先立ちをしていた事にようや
く気づいた。
 ついに見つけた……宇宙人、未来人、超能力者よりもあたしが欲しい人。
 あたしだけの、特別な存在。
「……ねえキョン。さっきあたしの気持ちを知ってるって言ったわよね? だったら、あたし
の質問にイエスって言いなさい」
 泣き顔の癖に、いつもの様に胸を張っているあたしにキョンは微笑んでくれる。
 今なら言えるわ――これがあたしの気持ちなのよ。
「キョン、あたしと付き合いなさい」 
 
 
 カカオ 〜終わり〜




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