「お茶が入りました〜」
 極上のスマイルを浮かべた朝比奈さんによって、俺の前に置かれる湯飲み――が二つ。
 どうも。
 ひとつは俺の湯のみで間違いない、そしてもう一つは
「ありがと、みくるちゃん」
 少し赤い目をしたハルヒが湯飲みを手に取り、いつもの様に一気に飲み干してしまう。
 その様子をじっと見ていた俺はあえて口を挟んだ。
 言わねばならんだろ、これは。
 なあ、ハルヒ。
「何よ、お茶の飲み方なんて人それぞれでしょ? ……それとも、気に入らない?」
 強気な姿勢を途中で弱めながら聞いてくるハルヒに俺は頭を抱える。
「俺が言いたいのはお茶の飲み方じゃない、飲んでいる場所だ」
 まったく、肩をすくめるスペースすらありゃしないぜ。なんせハルヒは俺の膝の上に座って
いるんだ。
 問答無用。俺を団長席に無理やり座らせたハルヒは、当たり前の様に俺の膝の上に座って、
そして今も尚俺の上に居座り続けている。
「お、重いの?」
 振り向いたハルヒが驚いた顔をする。
「いや、重くはないんだが……」
「よかった! じゃあいいじゃない」
 ご機嫌で前に向き直るハルヒ……さて、この状況が理解できない人も居るだろうからそろそ
ろ説明しておこうか。
 つい数分前、俺とハルヒは付き合い始めた。
 以上。


 甘甘甘
 
 
「キョン、先に言っておくけど。いくら付き合ってるからって、SOS団として活動する時は
あたしは団長で、あんたは団員なの。公私混同は一切許さないからね」
 目の前から聞こえる、というか体を伝わって聞こえてくるハルヒの発言に突っ込んでやる。
「じゃあ、どうして俺は団長椅子に座っていて、お前は俺の上に座ってるんだ」
「あたしがそうしたいからよ」
 そうかい。
 何とも素晴らしい理由だな。
「不満なの? 文句があるなら聞いてあげるから言ってみなさいよ」
 詰め寄る、というかくっついている状況でさらに近寄ろうとするハルヒの体をそっと止めつ
つ、俺は一言だけ言ってやった。
 ……お前の顔が見えないんだが。
 途端に顔を赤くしたハルヒから視線を外し……多分、自分の顔もハルヒに負けないくらいに
真っ赤なんだろうなと俺は思った。
 ――十数秒後。無事、団長椅子から生還した俺は座り慣れたパイプ椅子の感触に酔いしれて
いた。固いけど、やっぱりこっちの方が俺にあってるな。
「お2人の様子を見ていると、こちらまで照れてしまいますね」
 絶妙スマイルを浮かべる超能力者を睨みつつ、大人しく謝っておく。
 悪かったな。
 もしも俺が古泉と逆の立場だったとしたら、とっとと職務放棄して逃げ出してるに違いない。
「いえいえ。どうぞ僕の事は気にしないでください」
 お前が気にしなくても、こっちが気にするんだ。
 見物人と化している残りの2名、朝比奈さんと長門はといえば……この状況にも、普段と変
わりない様に見える。
 長門は窓際でいつもの様に読書中だし、朝比奈さんはポットとやかんを相手に至高のお茶を
作成するのに余念が無い。
 そして当事者であるハルヒは……パソコン越しにじっと俺の顔を見ているのであった。
 ハルヒは俺と目が合うたびに嬉しそうに微笑み、俺はそんなハルヒを見て……にやけそうに
なるのを止めるのに一苦労だったぜ。
 まったく……世の中ってのは何が起こるかわからないぜ。まさか俺とハルヒが付き合う事に
なるとはね。
 でもまあ、谷口によればハルヒは来るもの拒まずでどんな男とでも付き合ってきたらしいし、
俺がいつまで続くかなんて事はわからないか。
 朝比奈さんの淹れてくださったお茶を飲みつつ、俺は不満では無いため息をついた。
「有希、みくるちゃん! 一緒に帰りましょう! 古泉君とキョンはまた明日ね!」
 主語が無いのはいつのも事だが、少しは落ち着い……まあいいか。
 ハルヒに連れられて去っていく二人に手を振りつつ、なんだかんだでハルヒのテンションが
いつも通りな事に俺は安堵し……ん?
「なあ古泉、そう言えば……」
 浮かんだ疑問が言葉になる前に、
「仰りたい事は想像できますよ。ですがもうすぐ日が落ちます、帰りながらにでもお話ししま
せんか」
 パイプ椅子をテーブルに戻しながら、超能力者は穏やかな笑みを浮かべていた。


「貴方が聞きたいのは、今日の涼宮さんはあれほど情緒不安定だったのに、どうして僕が学校
に居られたのか? でしょうか」
 俺の隣を歩く古泉は、やけに楽しそうな口調でそう聞いてきた。
 まあそんな所だ。
 俺の予想では、昨日の内にお前から電話があると思ってたんだがそれも無かったしな。
「答えは簡単です。閉鎖空間は発生していないのですから」
 ……って事は見た目程、ストレスを感じていなかったって事か?
「とんでもない! 今だから言えますが、昨日の夕方からつい先程までの間、涼宮さんの精神
状態は僕がこの世の終わりを感じる様な内容でした」
 あっさりと怖い事を言ってくれるな。
「そんな状態なのに、涼宮さんは閉鎖空間を発生させなかった。それはつまり、愛は地球を救
うという事なのでしょうね」
 古泉、日本語で頼む。
 お前との付き合いも結構長いが、過去最高に意味不明だ。
「涼宮さんにとって、自分の恋愛における精神の乱れは閉鎖空間を生み出す要因にはなってい
ないみたいですね。……人は恋をする生き物です、自然の摂理とも言える感情の流れの中では、
誰しも内向的になるのかもしれません」
 おい、わざとか? 余計に意味がわからんのだが。
 不満を告げる俺に古泉は笑いながら、付け加える。
「心の問題は、かくも難しいという事ですよ」
  
 
「あたしは、やっぱり甘えた方がいいと思うの。その方が女の子っぽいし……みくるちゃんは
どう思う?」
 あたしの話をうなずきながら聞いていたみくるちゃんは、少し考えた後
「えっと……そうですね。キョン君は、普段の涼宮さんの事が好きだと思うから普段通りの方
がいいかなって」
 カフェオレの入ったカップを、ティースプーンで混ぜながらそう言った。
「そ、そう? ……じゃあ、有希はどう思う?」
 あたしの視線を受けて、それまで真剣な眼でメニューを見ていた有希は顔を上げて、
「そろそろ、デザートでは」
「有希! 食べてばっかりじゃなくて相談にものってよ?」
「申し訳ない」
 もうわかったと思うけど、あたし達3人は作戦会議をする為にファミレスに集まってるわ。
 作戦の内容は――あたしとキョンの付き合い方。
「でも、涼宮さん。キョン君と涼宮さんは両思いなんだから、そんなに真剣に考え込まなくて
もいいと思いますよ?」
 ……みくるちゃんはそう言ってくれるけど……。
「だ、だってね? キョンの言った「付き合おう」ってのと、あたしの考えてる付き合うって
事が一緒かどうかなんて……わからないじゃない」
 力説するあたしに、何故か苦笑いを浮かべるみくるちゃん。
 そうだ、あいつってみくるちゃんの着替えを覗いたりするから結構スケベなのかも……でも、
あたしにはそんな視線を向けた事はないし……もしかして、あたしを妹とかそんな感じに思っ
てるんじゃないかしら?
 そんな不安を感じていると、
「問題の解決には双方の意見を知る必要がある」
 じっと空になった食器を見つめていた有希が、真面目な顔で聞いてきた。
「それが聞ければ何も問題ないわよ」
 本当……キョンが偶然、あたしに対する本音を漏らしたりしないかしら?
「では、まずは貴女の考えを知りたい」
「へ? あたし?」
 驚くあたしにむかって、
「両方の意見を聞けないのなら、片方の当事者の意見だけでも知っておいた方が適切な助言が
できるはず」
 有希は店員を呼ぶボタンに手を伸ばしながら、あたしに言うのだった。
「あ、あたしは……その……えっと……」



「そうだ、1つ提案があります」
 そろそろ帰り道が別れようかとする所で、自称超能力者は意味ありげな笑みを浮かべて俺に
そう言った。
 どうせろくでもない提案なんだろうが、まあ一応聞いてやるとしよう。
 なんだ。
「僕も、貴方に聞きたい事があるんです。それを教えて頂けるのでしたら、これを差し上げま
しょう」
 そう言って古泉が内ポケットから取り出したのは、見たことの無い何かのチケットだった。
 チケットには1000という数字と、何やら店名らしい文字列が書かれている。
 古泉の手には、それが全部で10枚ほどあるわけだが。
「それは?」
「駅前にできたファミレスで使える金券です。機関の福利厚生の一環で支給されたんですよ」
 ……世界の命運を担ってる割には、ずいぶん庶民的な事もしてるんだな。
 もしかして株式会社とかだとか言うなよ?
「普段から支払いを任される事が多い貴方です。このチケットはとても魅力的な物だと思うの
ですが、どうでしょう」
 む……悔しいが古泉の言う通りそんなチケットがあったら助かるなんてもんじゃない。
 しかし、だ。
 この怪しい超能力者がいったい何を俺から聞きだそうとしているのか? 問題はそこだ。
 俺が訝しげな目を向けても、古泉は笑顔を崩さない。
「……古泉、聞きたい事ってのはなんだ」
 俺の質問に答える前に、古泉はチケットを全部俺に手渡してきた。
「先払い、という事でお願いしますね。もちろん拒否するのも自由です。ここから先は、あそ
こでお話しましょう」
 そう言って古泉が指差したのは……チケットに書かれたのと同じ名前、駅前にできたばかり
のファミリーレストランだった。
 
 
「……古泉」
「はい」
 お前、正気か?
 俺が睨みながらそう言っても、予想通り古泉の笑顔はそのままだった。
「僕はいつでも」
 程々に正気なつもり、だろ?
「ええ、そうですよ」
 だったら、そろそろ完璧に正気に戻ってくれ……。
 俺は頭を抱えつつ、グラスに入った水を一気に飲み干す。
「正直なところ、仕事は抜きにして本当に聞いてみたいんですよ」
 ……SOS団では今、この男の笑顔を取り去る方法を絶賛募集中だ。
 オーダーを聞きに来た店員ににこやかに注文をしている古泉が俺に聞きたかった事とは、だ。
 何故、俺がハルヒに告白したのかを教えろ……だとよ。
「誰でも疑問に思うはずですよ? 貴方はあれほど、涼宮さんへの思いを否定し続けてきたん
ですから」
 気が変わった、じゃ駄目なのか。
「それが本音でしたらそれでも構いませんよ」
 くそう、こいつの笑顔がこれほど憎いと思ったのは初めてだぜ。
「いいか古泉? お前が聞こうとしている事はだな……」
「ええ」
「その……つまり、だ。お前が今俺から聞いてる事は、惚気にしかならないってわかって言っ
てるのか?」
「もちろんです。できれば御2人の出会いから今に至るまでを、事細かにじっくりと聞かせて
欲しいですね」
 躊躇無し、あっさりと古泉は頷いてみせる。
 ふぅ……そうかい、わかった。
 俺は溜息と一緒に恥じらいって奴も一緒に吐き出した。
 だったら聞かせてやろうじゃないか、聞いた事を後悔するような惚気って奴をな。砂糖にも
致死量があるって事を教えてやる。
 ソファーに座りなおした俺を、相変わらず古泉は営業スマイルで見つめている。
 俺はその笑顔を苦痛のそれに変えてやろうと意気込んで……はぁ、誰かこの時の俺に言って
やってくれ! 今すぐ店を出ろって! 頼む!
 
 
 ハルヒの事が気になりだしたのは……いつだったっけな。はじめてあいつに会った時に自己
紹介を聞いた時からかもしれんし、部活が始まってからかもしれん。
 第一印象? ……そうだな、えらい美人がそこに居たって思ったよ。なんだかんだであいつ
と話すようになって、急に髪を切ってしまって……ああ、お前は知らないかもしれないが入学
当初のハルヒはロングヘアーだったんだ。
「貴方は涼宮さんの髪型は、今の髪型とその頃だとどちらがお好きなんですか?」
 ん? ……長い方が好きかな。今のもいいとは思うが。それで、俺はあいつに付き合わされ
て意味不明な部活を作る事になったんだ。そしてSOS団ができてお前もやってきてしまった、
以上。これでいいか?
「肝心な部分が抜けてしまっているかと」
「なんだ」
 3年前の七夕とか言うなよ?
「貴方の、涼宮さんへ対する思いです」
 ハルヒは……そうだな。頭がいいくせにバカで、我侭で、横暴で……。
「それで?」
 続きを待つ古泉のにやけ顔から逃れる為、俺は両目を閉じた。
 もうどうにでもなれ〜。
 そんな諦めと一緒に吐き出した溜息につられて、本音が零れ始めていた。
「横暴で……そして可愛い奴だよ。前に自分でも言ってたが、あいつの視線には何か力がある
んじゃないのか? あいつに見られてると楽しいっていうか……何だろうな。俺はあいつの笑
顔を見てると自分も笑っちまう事に気づいたんだよ。それがなんなのかわからんし、気のせい
かもしれん。でも、俺は自分があいつの傍に居たいって思ってることに気づいたんだ。ついこ
の間ハルヒが演技で急に甘えてきた時、それはそれで可愛いとは思ったさ。でも、俺は普段の
ハルヒの方が好きなんだと思う。我侭で、横暴で、人の言う事は全然聞きやしない……でも、
俺はそんなあいつに惚れてるんだって。そう気づいたら、あいつにその気持ちを伝えたくなっ
たのさ。だから告白した……以上。今度こそ終わりだ」
 長々と話し終え、目を開いた先に座っていたのは惚気話に顔を顰める古泉……ではなく、そ
もそも1人ですらなく……。
 まず目に入ったのは古泉。お前、後で覚えてろよ。マジで。
 続いて目に入ったのは朝比奈さんと長門、どうして2人がここに……いや、まだここまでな
らいいんだ。
 この3人なら笑われるだけで済むだろうからな。
 問題は、
「……」
 俺の正面、古泉が座っていたはずの場所に居たのは、紛れも無く……ハルヒだったよ。
 恐らく俺よりも真っ赤な顔で、ハルヒはじっとテーブルを見つめている。
 4人が沈黙する中、
「よかった。全部、解決しちゃいましたね」
 謎の言葉を残して朝比奈さんが席を立ち、
「ご馳走様。色んな意味で」
 やけに人間らしいコメントを残して長門が続き、
「では失礼します。……これはもう、バイトは廃業かもしれませんね」
 余計な一言を付け加えて、古泉も去って行った。
 ――結局、その場に残されたのは気まずい雰囲気の2人だけ。
「ど、どこから聞いてたんだ?」
 恐る恐る聞いてみると、
「あんたの後ろの席に居たから、店に入ってきてから……全部」
 俯いたままハルヒは答える。
「ってことは……お前が気になりだしたのは……とか」
 首肯。
「お前の……傍に居たいとか」
 首肯。
「お前に惚れてる……とかも……」
 ますます顔を赤くするハルヒが頷いて、俺は思わず天井を見上げた。
 
 
 ……とまあ、俺とハルヒの記念すべき初デートってのは、こんな感じだったのさ。
 
 
 甘甘甘 〜終わり〜




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