例え話をするにしても、こんな事を話題にするのは正直趣味じゃないんだが……あいつの姿
を見ていると、本気でそう思うことがある。
 なあ古泉。もしも自分が犠牲になれば世界を救えるとしたら、お前は……どうするんだ?


 昼休み、なんとなく部室へ行こうかと歩いていた俺が見たのは、左腕を包帯で吊って歩いて
いる古泉の姿だった。遠目に見ても添え木と一緒に巻かれた左腕は、普段の倍程の大きさにな
ってしまっている。
「古泉。お前、その腕……」
 そう言いながら近寄った俺を見て、古泉が一瞬気まずそうな顔をしたのを俺は見逃さなかっ
た。
 その見慣れない表情はすぐに消えたものの、いつもの営業スマイルはどことなくぎこちない。
「やあ、どうも。……実は階段で転んでしまいまして。見た目は大げさですが、それ程酷い怪
我ではないんですよ」
「そうか、それは不幸中の幸いだな。って、んな訳あるか!」
 思わず大声になった俺に、古泉は罰が悪そうな顔をする……って事はつまり。
「お察しの通り……神人との戦闘で、ちょっと」
 そう軽い口調で言って怪我した方の腕を動かしてみせる古泉の顔には、言葉ほどの余裕は感
じられなかった。
 ――中庭のテーブルの上には缶コーヒーが二つ、俺は自分の分と片手が使えない古泉の分ま
で封を開けてやった。
「ありがとうございます」
 礼はいらん、それより聞かせろ。
 俺は自分の缶コーヒーを口にしながら問いただした。
「聞かせろ、と言いますと」
 言われなくてもわかってるんだろ?
 予想外に甘かったコーヒーを取りあえずテーブルに戻して、俺は口を開いた。
「ハルヒがまた閉鎖空間を作っちまった理由だ」
 俺がSOS団に入ってからというもの、紆余曲折なんて言葉では説明しきれない程に色んな
出来事があった訳だが……。現在、俺とハルヒは付き合っていて、古泉によれば自分の恋愛中
の感情では閉鎖空間を作る事はないと俺は聞いていた。
「仰る通りです。と、言いたいのですが……現実問題としてここ数日、閉鎖空間は頻繁に発生
しています。それこそ、砂嵐の様な精神状態だった中学校時代に勝るとも劣らないペースでね」
 なんだそりゃ? 話が違うじゃないか。
「僕にも理由はわかりません。涼宮さんと貴方の関係も、悪い状態だとは思えません」
「俺はともかくとして、最近のあいつはやけに楽しそうだと思ってたんだがな」
 内面に何か溜め込んでるって事なのか?
「これは関係ない事かもしれませんが、時折涼宮さんが貴方を見ている視線に複雑な感情が篭
められている事があります」
「複雑な感情?」
「ええ。詳しい事は僕には解りませんが」
 ……そんな曖昧な事を俺に言われても困るんだが。
 ハルヒとの関係は、まあ俺の思い込みなのかもしれないが順調だと思っていた。
 週末の市街探索の後にはデートらしき事もしてるし、寝る前にはメールを交わしたりもする
ようになっていたからな。
 やれやれ、現状に何か不満でもあるのかね?
 溜息をつく俺を見ていた古泉の顔に、突然緊張感が走る。
 おい古泉、まさか。
「すみません、どうやらまたバイトが入ってしまったようです」
 その口調が普段と変わらなかった事に、俺は動揺していた。
「バイトって……。お前、怪我してるじゃないか」
「それはそれ、ですよ。世界崩壊の危機を前に、個人の不調なんて口にする余裕はありません」
 無事な手をテーブルについて立ち上がろうとする古泉の腕を、俺は掴んだ。
「……どうしても行くつもりか?」
「ええ、そうです」
 真面目な顔で言い返す古泉に、俺は以前から思っていた事を聞いていた。
「なあ……もしも自分が犠牲になることで世界を救えるとしたら、お前はどうする?」
 俺の言葉に、古泉は最初困ったような顔をしていたが……やがて
「そうですね、きっと犠牲になるでしょう」
 俺と同い年であるはずのそいつは、何の躊躇いも無くそう言い切りやがった。
 古泉がここまで思える理由は何だ? 自分が超能力者だからなのか? 
 俺は……俺には無理だろうな。
 かつて、自分が正義の味方にだってなれると思い込んでいた頃の俺だったらわからないが、
今の俺にはそんな選択肢は選べそうに無い。そんな自分には古泉を引き止める事すら許されな
い気がして、俺はその腕から手を放した。
 ……俺はいつからこんなに臆病者になっちまったんだ? それとも、最初からそうだったん
だろうか。
 軽く会釈をして立ち去っていく古泉の背中が、やけに遠く……大きく見える。
「古泉!」
 呼びかけられた古泉が振り向いて……こんな時でもお前は営業スマイルなのかよ。
「お前が世界を救ってくれるのなら、1つ約束しろ」
「……何でしょうか?」
 言葉を選んでいる時間なんてない、思いつくままに俺は言葉を口にしていた。
「俺はお前が居ない世界なんて認めないからな、お前が世界を救ってくれるのなら、お前もち
ゃんと帰って来い」
 ……なんだよ、その驚いた顔は。変な事を言って悪かったな。
「ええ、お約束します」
 そう言い残し、嬉しそうに笑って古泉は中庭から去って行った。

 
 ――結局、その日古泉は学校に戻って来なかった。
「……古泉君、今日も遅いわね……。キョン、何か聞いてる?」
「昼休みに会った時、今日はバイトが入るかもしれないって言ってたぞ」
 ハルヒの顔を見ないまま、俺はそう答えた。
「そう」
 空席のままになっている俺の向かいの席を見ながら、ハルヒは退屈そうでいて心配そうな顔
をしていた。
 それにしても……閉鎖空間を作ってしまっているにしては、ハルヒの様子はいつもと同じよ
うにしか見えない。そこそこに無茶を言って、そこそこに朝比奈さんにちょっかいを出し、時
折俺の様子を眺めている。
「な、何よ」
 どうやら凝視しすぎていたらしい、視線に気づいたハルヒが不思議そうな顔で俺を見ている。
 ……なあハルヒ。お前――そこまで言いかけた所で、部室にはまだ朝比奈さんと長門が残っ
ている事に気がついた。
 ここじゃあ話しにくいし……そうだな。
「ハルヒ、今日は2人で帰らないか?」
 無言のまま俺の話の続きを待っているハルヒに、俺はそう聞いてみた。
 
 
「あんたが急に変な事言い出すから……そう、全部あんたのせいよ」
 そうかい、それは悪かったよ。
 部室で俺に一緒に帰らないかと聞かれたハルヒは、まず急に立ち上がろうとして机に足をぶ
つけ、そのまま体勢を崩して床に倒れ、さらに起き上がろうとした所に鞄が降ってくるという
散々な目にあっていた……のだが、今は何故か笑顔だ。
 まあハルヒが驚いたのも無理はないんだ、俺達が付き合い始めてから何日か過ぎたのに、俺
から一緒に帰ろうって誘ったのは初めてだったしな。
 朝比奈さんの小さな手と長門の視線に見送られた俺達は、学校帰りの道を2人で歩いている。
 中途半端な時間帯のせいなのか他の生徒の姿も無く、ハルヒは遠慮なく俺の腕に自分の腕を
絡ませてきていた。
「それで? 何で急に一緒に帰ろうなんて言い出したのよ」
「何でって言われると困るんだが……」
 お前が不満を溜めてるかどうかを知りたかった、なんて言えないだろ。
「……何よ、何か秘密でもあるの?」
 俺がお前に秘密にしてるのは、あの3人のプライベートに関してと七夕のあれこれくらいの
もんだ。そもそも俺みたいな一般人にお前が喜びそうな秘密なんてないんだよ。
 ……そう、ないんだよな。俺には何も。
「どうしたのよ、もう。急に暗い顔をして」
「ん、いや。何でもない。……たまにはお前と2人で帰りたいって思っただけだったんだが、
嫌だったか?」
「べ、別に嫌ってわけじゃないけど……ちょっとびっくりしたって言うか……できればメール
とか、クラスで直接言ってくれたら、みんなに秘密にできたのに……それに……そもそも……」
 おい、声が小さくて聞こえてないぞ?
 しばらくの間ぼそぼそと何かを呟いていたハルヒは、何故かどんどんと顔を暗くしていった。
 何となく立ち止まった俺の顔を見て、ハルヒは口を開く。
「……ねえ。キョンはどうしてあたしと付き合ってるの?」
 どうしてって……。
 おいおい、ファミレスで聞いたあの内容だけじゃ足りないってのかよ。
「あたしが、付き合いなさいって言ったから? ……あたしは、みくるちゃんみたいに可愛く
ないし、有希みたいに大人しくもないわ。それに、今までキョンにいっぱい酷い事しちゃった
し……どれだけ考えても、キョンがあたしを選んでくれる理由が……思いつかないのよ。ファ
ミレスで……ほ、惚れてるって言ってくれたけどさ? あたし、こんな性格だし……付き合う
事になったから、ああ言ってくれてるのかなって」
 ――なるほど、これが原因だったのか。
 思わず俺が溜息をついたのも無理は無いね……なんせ、ハルヒの悩みってのは俺の抱えてい
た悩みと同じ内容だったんだ。
 俯いてしまったハルヒを見ていた俺は……まあ、勢いって奴なんだろうか。自分の手に絡ま
るハルヒの腕をそっと外して、その小さな手を掴んでいた。
「……」
 俺の行動に余程驚いたんだろうか、ハルヒは顔を上げ、口を開けたまま俺の顔をじっと見つ
めている。
 なあ、ハルヒ。
「うん」
 何かを期待した――まあ、だいたい想像はついてるんだが――ハルヒの返事に、俺はそれと
は違う事を口にした。今、言わなきゃいけない気がしたんだ。
「俺たちって、いつまでこうしていられるんだろうな」
「お、俺たちって……」
 それは俺とハルヒの関係って意味と、SOS団って意味でもある。
 それぞれに事情があって集まっているらしいあの3人と、文字通りに巻き込まれているだけ
の俺。ハルヒを中心に集まって、同じ時間を繰り返してきた俺達は……いつまで一緒に居られ
るんだろうか?
 考えたくは無いが、俺達は学生である以上いずれは進路を決めなくちゃいけなくなる。
 そうなった時……つまり、俺達が大人になっちまった時、俺達は俺達で居られるんだろうか?
 それとも……。
 考えがまとまらず、立ち止まった俺の顔をハルヒが見上げている。
「キョンは……どうしたいの」
 ……俺は、お前が望むような宇宙人でも未来人でも超能力者でもないただの一般人だ。勉強
だってできるわけじゃないし、これといった不思議な背景も無い。まったく、我ながら溜息が
出るほどに普通だよな。でも俺はヒーローでありたいんだよ、お前にとっての。俺は全然強く
なんてないし、そもそもお前に助けなんていらないのかもしれないが……お前に何かあったら
すぐに助けてやりたいって思ってる。だから――
「俺は、ずっとお前の傍に居たいって思ってるよ。本当にな」
 ようやく言葉にできたその一言は、紛れも無い俺の本音だった。
「……」
 無言のままハルヒは俺のネクタイを掴み、力ずくで俺の顔を引き寄せる。
 ハルヒが何を考えているのかわかった俺は、わざと何の抵抗もしなかった。
 いっきにハルヒの顔が近くなって、2人の唇が重なった所でようやく止まる。
 ……これはイエスって意味でいいんだよな?
 ハルヒの唇から伝わる柔らかな感触は、俺の胸にあった暗い淀みを全て溶かしてくれた。
 
 
 ――その日の夜。
 プルルルル――プルルル――プルル プッ
「お電話をお待ちしていました。流石は涼宮さんが選んだ人ですね、貴方のおかげで閉鎖空間
は無事に消滅しました」
 矢継ぎ早に言葉を並べる古泉に、俺は「そうかい」とだけ返事を返した。
「これがどれ程凄い事なのかを、貴方に伝えられる言葉が無いのが悔やまれます」
 自分の言葉に酔っていやがるのだろうか、古泉の言葉は無駄に芝居がかっている。
 まあ、そんな言葉はどこにもないだろうな。
「……あの、どうかしたんですか?」
 いつも以上にそっけない返事を返す俺に、古泉はようやく何かを感じ取った様だ。
「なあ古泉、神人相手にいつも大変だな」
「いえ、そんな事は……」
 急に優しくなった俺の声に、古泉は戸惑っているようだ。
 本当にお前はよくやってるよ、誰も褒めてくれないだろうから代わりに俺が褒めてやろう。
「あ、ありがとうございます」
 ……そろそろいいか、演技も飽きたし。俺はなるべく平静を装ってその言葉を口にした。
「ところで、お前のバイトってのはキューピッドの真似事も含まれてるのか?」
「…………あ……え……その」
 実はさっき朝比奈さんと電話をしてた時に聞いてみたんだが。ここ暫くの間、閉鎖空間は1
つも出来てないんだそうだ。まあ、深夜や早朝なら見逃すって事もあるんだろうが、この間の
昼休みは間違いなく発生してないと断言してくれたぞ。
「…………」
 無言って事は俺の思っている通りって事か。まったく、怪我の振りまでしてくるとは恐れ入
ったぜ。……でもまあ、おかげでハルヒの気持ちに気づいてやれたんだから怒ってはいないん
だが、それとこれとは話は別だ。
 古泉。
「……はい」
 雪山のとあわせて、これで貸し2つだな。
 携帯電話の向こうで脅える超能力者にそう言い切り、俺は電話を切った。
 
 
 HERO 〜終わり〜




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