昼休み。
 部室で待機していたわたしは不思議な光景を見た。
 机に向かって座り、真剣な顔で何かを紙に書き綴っているのは朝比奈みくる。
 彼女が何かを書くことが珍しい訳ではない。
 涼宮ハルヒの依頼による文集作成では、一番努力していたのは彼女だとわたしは思っている。
 では、何が不思議なのか。
 それは――
「あの……」
 すぐ隣までやってきたわたしを、彼女は不思議そうな顔で見上げている。
 彼女の持っているのは普通の鉛筆ではなく赤鉛筆で、手元に置かれた小さな紙の上には赤色
のハートが描かれていた。
「……これが気になるんですか?」
 そう。
 いったい何を書いているのだろう。
「ちょ、ちょっと待ってくださいね!」
 ただわたしが肯いただけで、何故か彼女は自分のやっていた事の解説を始め出した。
 とても嬉しそうに。
「えへへ……実は、これっておまじないなんです」
 おまじない。
 彼女は鞄の中から新しい紙を取り出して、机の上に広げる。
「はい。一度お見せしますね。こうやって、まずは紙に好きな人の名前を書くんです。今は長
門さんのお名前を書きますね」
 そうわたしに説明しながら、彼女は独特な筆跡でわたしの名前を紙に書きこんでいく。
「長門――有――希っと。そして、その名前を中心にして赤鉛筆でハートを書いていくんです」
 彼女の手がゆるゆると動き、A4サイズの紙の中央にあったわたしの名前は徐々に塗りつぶ
されていった。
「それでですね? 鉛筆を紙から離さないまま、このハートマークを綺麗に大きく描けたら両
思いになれるっておまじないな――あ!」
 パキッ
 彼女の丸っこい筆跡で書かれたわたしの名前が半分程が塗りつぶされた所で、赤鉛筆の先は
折れてしまった。
「この場合は」
「……片思いで終わっちゃう……みたいです」
 そう。
「長門さんもやってみますか?」
 彼女はわたしにそう提案しながら、先の尖った新たな赤鉛筆と真っ白な紙を差し出してくる。
 ――わたしには、この行為に何らかの意味があるとは思えなかった。
 しかし、何かを期待した目で彼女はわたしを見続けている。
「あ」
 彼女の期待に応える事は、無意味な事ではないはず。
 わたしは彼女の隣に座って、赤鉛筆を受け取った。
「最初に、好きな人の名前を書く」
「はい!」
 好きな人の名前……。
「あ! わたし、ちょっと後ろを向いてますね」
 何故?
 わたしの問いかけに答えないまま、彼女はパイプ椅子ごと体を後ろに向けてしまった。
 どうして彼女は後ろを向いているんだろう。
 疑問は残ったが、スタンドミラーに写る彼女の横顔はとても楽しそうだったのでわたしは気
にしない事にした。
「――――名前、書けました?」
 書き終えた。
「じゃあ! その名前を中心にハートのマークを書いてくださいっ」
 わかった。
 凄く楽しそうな彼女の雰囲気を背中に感じながら、わたしは言われたようにそっとハートマ
ークを描いていく。
 曲線部分と鋭角な角度の変更を繰り返しながら、そのハートは紙面における面積を徐々に拡
大させていき――それにつれて、自分の中に変化がおきるのを感じる。
 なるほど……これは不思議な感覚。
 言語では説明できない、けれど確かに感じる静かな高揚感。
 有機生命体の間で、おまじないという文化が発達した事も十分に理解できる。
 やがて、芯を使い切ってしまう頃、
「――あの、名前は全部隠れましたか?」
 彼女はそんな事を聞いてきた。
 隠れた。
「じゃあ振り向きますね! ……わ、わー! 凄いです!」
 振り向いた彼女は、何故か嬉しそうに飛び跳ねていた。
 わたしに渡された紙の上には大きなハートマークがあり、すでに紙面の両端まで迫ってしま
ってる。
「これ以上は、形状を維持したまま拡大はできない」
 わたしは紙を彼女に手渡すと、
「これでいいんですよ! 凄いなぁ〜こんなに綺麗で大きなハートって初めて見ました〜」
 嬉しそうに彼女は紙を掲げて、その場をくるくると回るのだった。
 ……喜んでもらえてよかった。
「これなら絶対、両思い間違いな……あ、ごめんなさ……あ、あれ?」
 小さく声を上げて、彼女の足が止まる。
 天井に向かって紙を掲げた姿勢のまま、何故か彼女は顔を紅潮させてこちらを見ていた。
「あ、あの」
 何。
 何か間違えていたのだろうか。
「えっと……あの」
 恥ずかしそうで困った顔をして、彼女はわたしを見たまま両手を下ろせないでいる。
 もしかしたらそれも、このおまじないにおいて必要な行為の一つなのだろうか?
 視線の先で固まる彼女、そしてその頭上に掲げられた手の上には――蛍光灯に照らされた紙
面に描かれた大きなハートと、最初にわたしが書いた「朝比奈みくる」という名前の部分が浮
き出されていた。


「赤えんぴつ」〜終わり〜




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