古泉曰く、外見の変化に気づけないってのは何気に女子の機嫌を損ねる事らしい。
 そんな事を聞いたからって訳じゃないが俺はその頃、朝比奈さんや長門、ついでにハルヒの
変化に多少ではあったが気を使う様にしてみていた。
 でもまあ、そんな一般常識が通用する相手じゃないよな。ハルヒは。



「ハルヒの髪、結構伸びてきたよな」
 放課後の部室、俺は朝比奈さんの髪型をいじっていたハルヒを見てそう呟いた。
 当たり前だが朝比奈さんの髪程長くはないにしろ、短かった髪はいつの間にか肩に触れる程
度までの長さになっている。
「え、そうね。……また、前髪だけ切ろうかな?」
 前髪をつまみながら俺の顔を見て動きを止めるハルヒ。なんだろう、お前はいったいここで
どんな台詞を期待してるんだ?
 しばらく誰も口を開かない時間が続いた後、ハルヒはつまらなそうな顔をして朝比奈さんの
髪型いじりに戻っていった。
 さて、今のはなんだったんだろう?
 ――結局その日は何事もなくSOS団の活動は終了した。毎日がこんな感じであれば俺とし
ては最高なんだけどな。
「じゃーみんな、また明日ね」
 早々と部室を飛び出していくハルヒ。
「お先に失礼します」
「……」
 無駄に愛想がいい古泉、悲しいほど愛想が無い長門と続いて部室を出て行き
「キョン君。さっきのはちょっと可哀相でしたよ?」
 何となく椅子に座ったままだった俺を見つめる朝比奈さんは、何故か少しご立腹の様だった。
 さっきの……さっきの。
 はて、本気で思い当たらないんだが。古泉相手のカードゲームでわざわざオーバーキルを狙
ったなんて事は朝比奈さんにはわからないはずだぞ?
「涼宮さん、ここ暫くの間前髪しか切ってないんです」
 それは……そうなんですか。
 じれったそうに朝比奈さんが胸の前で腕を振る。
「えっと、その。だから……」
 申し訳ないですがその仕草めちゃくちゃ可愛いですよ、朝比奈さん。
「もう! 涼宮さんはキョン君にポニーテールを見せたいから髪を伸ばしてるんです!」
 我慢し切れなかったのだろう、朝比奈さんはそう言って俺に部室の鍵を押し付けて部室を出
て行ってしまった。
 えっと、今の話を聞いても俺には正直状況がよくわかってないなんて事を言ったら、朝比奈
さんにまた叱られてしまいそうだな――それはそれで俺にとってはご褒美なのだが、ちょっと
さっきの言葉の意味を真剣に考えてみようか。
1.ハルヒはポニーテールの為に髪を伸ばしている。そのポニーテールはどうやら俺に見せる
為の事らしい。まあ、ここまでは簡単だ。
2.「前髪だけ切ろうかな?」と言ったハルヒに対して俺がリアクションを取らなかったのは
朝比奈さんによれば可哀想な事だと言う。そしてその理由として、髪を伸ばすのは俺にポニー
テールを見せるという目的の為だから……あ、そうか。
 ようやく意味がわかったぞ、俺に「そろそろポニーテール作れそうだな」って言って欲しか
ったって事なのか。
 今考えてみれば、最近朝比奈さんの髪型をいじるときにやたらとポニーテールばっかり作っ
てたのも――俺にとっては目の保養でしかなかったんだが――ハルヒなりの前振りなんだろう。
 ……でもなあハルヒ。俺がポニテ萌えだって事は、あの閉鎖空間の中でしか言ったことがな
いんだぜ?
 こっちの世界では似合ってるぜ、としか言ってないと思うんだが……まあいいか。
 明日、ハルヒと学校であったら久しぶりにポニーテールの話でもしてやろう。
 この話はこれで終わり……にはならなかったよ、残念ながらな。
 なんせ翌日、ハルヒは学校に来なかったんだ。


「何かあった」
 平坦な音程だったが、多分それは疑問系だったんだと思う。
 ハルヒは居ないものの一応顔を出した放課後の部室、俺を見た長門の第一声がそれだった。
 何かあった……って特に何も無かったと思うぞ。
 実際問題、今日は特筆すべき事など本当に何も無かった。いつもと違うことといえばハルヒ
が居なくて静かだったって事くらいなんだが。
「昨日の22:13分から巨大な閉鎖空間が発生している」
 さらりと言い切る長門に、俺は古泉に見せられたあの灰色の空間を思い出していた。
 あの時俺が見たのは町ひとつ覆ってしまうような大きさの空間だったが、古泉はこれでも小
規模だとか言っていた。じゃあ巨大なんて表現の閉鎖空間だとどうなっちまうんだ?
「それで、今ハルヒは?」
「涼宮ハルヒは時おり家の中を移動する意外は自分の部屋に閉じこもったままでいる。ただ、
これまでの閉鎖空間と違い今回発生している空間は、拡大する事無く一定の規模を維持したま
まで留まっている」
 万能元文芸部員をもってしても現状把握しかできないのか、そこまで喋った所で長門は黙っ
てしまった。
 って事は、今部室に居ない古泉や朝比奈さんはもしかして閉鎖空間に居るって事なのか?
「古泉一樹は閉鎖空間を不規則に出入りしている。朝比奈みくるはまだ変化に気づいていない」
 それでお前は……と言い掛けて俺は言葉を止めた。
 長門は、ハルヒを観察する為に情報なんとかっていう上司に派遣されたヒューマノイドなん
とか……だったよな。
 こんな状況だからこそ、観察って仕事は大忙しなのかもしれん。
 でもな、長門。本当にお前がそれだけの為にいるのならわざわざ俺にハルヒの異変を知らせ
る必要なんてないんだし、今も俺を見るその目にはハルヒへの心配って奴が見て取れなくも無
い。
「大丈夫だ、そんなに心配するなって」
 俺は携帯を取り出し、電話帳を開いてハルヒを……待てよ、もしも繋がるなら先に古泉に話
を聞いておいた方がいいかもしれない。
 長門、今古泉は閉鎖空間の中に居るのか?
「……今は外に居る」
 流石に閉鎖空間の中に電波は届かないだろう、俺は先に古泉に電話をかけてみる事にした。


「お電話をお待ちしていました」
 電話越しに聞こえた古泉の声に、俺は胸を撫で下ろしていた。
「ずいぶん余裕そうだな。……まあ一応聞いておくが、怪我とかしてないだろうな?」
「ご心配をかけて済みません。ですが今回に限って言えば怪我をする理由もないんです、実際
に見てもらった方が早い気もするんですが……貴方にはやっていただきたい事があるので口頭
で説明しましょう」
 やってもらいたい事だと?
 閉鎖空間関係で、お前が俺に頼むっていったら――
「ご心配なく、あの時と同じ事をお願いするつもりはありません。貴方がそれを望むのでした
ら、別ですが」
 古泉、電話切っていいか。
「冗談です。現状ですが閉鎖空間は発生した時と同じ規模で停滞したまま、空間の中に神人も
存在していないただの無人の空間です」
 なんだそりゃ?
「機関としてもこの状況を恐れればいいのか楽観視していいのかすら判断できていません。で
すから交代で中の様子を確認しているのですが、未だに何の変化もありません。正直な所を言
いますと、貴方からの電話待ちだった……そんな所です」
 なるほどね、まあお前が交通量調査のバイトみたいな状況だって事はわかったさ。
 それで頼み事ってのはなんだ?
「涼宮さんに電話してあげてください」
 ――……っておい、それだけか?
「ええ、僕はそれで全てが解決すると思っています」
 話を聞く限りそんな簡単な問題には思えないんだがな……。っていうか、それならもっと早
く俺に電話すればよかったんじゃないのか?
「貴方を頼るという事は、そのまま我々にとっての最後の手段でもあるんです。そして、もし
も貴方がそれに失敗してしまったら……。考えたくはありませんが、本当に世界の滅亡もあり
えますからね」
 ずいぶんとプレッシャーをかけてくれるじゃないか。
「こうみえても、我々も必死ですなんですよ。まあ、それはともかくこのままでは涼宮さんに
も悪い影響が出るかもしれません。なにしろ今の状況は、サンドバックを準備したのに叩かず
にじっとしているような物ですから」
 ……そんな状態のハルヒに電話しろだと?
 どんな罰ゲームだそれは。
「正直な所、僕が貴方に電話できなかった一番大きな理由はそれです。こちらでも最大限バッ
クアップはするつもりですが、貴方にかけるしかないと思っています」
 へいへい、まあやるだけやってみるよ。
「お願いします。それでは、また」


「……なによ」
 不機嫌という感情を文章ではなく、言葉の響きだけで伝えるとしたらきっとこんな声なのだ
ろう……携帯から聞こえてきたハルヒの第一声はそんな声だった。
「よう、急に休んだりして風邪でも引いたのか?」
「……そんなんじゃない」
 ん? ハルヒの声は不機嫌なだけじゃなく、そこにはいつもの無駄な元気さがなかった。
「そうかい」
 と適当に返事をすればきっとハルヒの事だ、点火温度に達したニトログリセリンの如く――。
 沈黙――っておい? ハルヒが何も言い返さないだと? あんた団員として団長を気遣う言
葉はそれだけ? だのと即座に言い返されると思ったんだが……。
 古泉、俺の素人考えによるとどうやら電話しただけでは何ともならない様な気がするぞ?
「な、なあハルヒ」
「なに」
 ……話しかけておいて何だが、俺はなんて言えばいいんだろうな。電話越しに髪型がどうの
なんて言えるわけもないし、特に話題もないんだが……。
 再びはじまる沈黙、これだけ黙っている時間が長ければ普段のハルヒならそのまま切ってい
るだろう。
 自分からは言わないが、やはり何かあったのかもしれない。
 ……やれやれ。
「実はな、これからどこかへ遊びに行こうと思ってるんだがお前、暇か?」
「はあ? あたしは学校休んでるのよ?」
 いいね、少し元気が出てきたじゃないか。
 それで?
「それで……って」
 別に体調が悪い訳じゃないんだろ? まあ、体調が悪いのなら無理にとは言わないが。
「……そうね。ちょうど気晴らしがしたかったし、付き合ってあげる。で、場所はどこにする
つもりなの?」
 そうだな、どこにしようかね。
「あ、あんたそんな事も考えないで誘ったわけ?」
 おいおいそんなに怒るな、しかもそのでかい声で落ち着くな俺。ああ、そういえば古泉がさ
っきサンドバックがどうのと言っていたっけ。
 ハルヒ、たまにはこんな場所はどうだ?


 長方形のテーブルの向い側で不敵に笑うハルヒ、その手には丸くて白いプラスチックのスマ
ッシャーがあり俺のパックのコースを塞ぐべく左右に動いている。
「何してんの? さっさと打ちなさいよ」
 ご機嫌なハルヒの挑発には乗らないぜ? なんせスコアは18:19で奇跡的にも俺が勝っ
てるんだ。残り時間はわからないがここは慎重にいかせてもらう。
 ゲームセンターの一角。回収率の高いゲームに追いやられ、目立たない店の奥の方においや
られていたホバーホッケーの台で熱戦を繰り広げる制服姿の俺と、珍しく大きめのキャスケッ
トをかぶった私服姿のハルヒが居た。
 ここで2点差に追い込む事が出来れば勝機はある、俺は勝利をその手に掴むためにじわじわ
と台の横へ移動しつつパックを運んで行く。
 いくら相手が俺とはいえ、流石のハルヒもプレッシャーって奴を感じるのだろう、表情に真
剣さが増してくる。
 ハルヒは右手でスマッシャーを――ああ、今更だがスマッシャーってのはパックを打つ時に
手に持って使うあれの事だ――を持っている。人体の構造上、左側への移動の方が遅いはずだ。
 俺はハルヒの右側に打ち込むフェイントを入れて、すかさず逆方向へ――
『フィーバータイム!』
 軽快な電子音と共に、中央のスローターからハルヒのフィールドの上に滑り落ちてくる3枚
のパック。
 う、嘘だろおい!?
「チャーンス!」
 ガションガションガション……瞬く間に無人だった俺のゴールへ叩き込まれるパック、そし
てゴールに入った事で再びスローターから投入されるパック、さらに叩き込まれる……エンド
レス。
 ――急いで防御に戻った俺時には、すでに勝敗は決していた。


「ま、あんたにしては善戦したじゃない」
 ハルヒ、驕る平家は久しからずって言葉知ってるか?
「知ってるわよ。つまりは勝ち続けろって意味でしょ?」
 諺の新解釈を披露しながら、ハルヒはご機嫌で俺の奢りで買ったパックのジュースを飲んで
いる。
 サンドバック代りにパンチングマシーンを求めてゲームセンターで待ち合わせた俺とハルヒ
が見たのは、店内の殆んどを埋め尽くすプリクラコーナーと大型筐体の対戦ゲームだった。
 これも時代の流れって奴かね?
「次は何にする?」
 飲み終わったジュースのパックをゴミ箱に入れたハルヒが笑顔で聞いてくる。
 あ、お前全部飲んじまったのかよ? 俺も飲みたかったのに。
「だったら先に言いなさいよ?」
 思わずごみ箱を睨んだ後、口を曲げるハルヒ。
 正論だな。じゃあもう一回ジュースを賭けて勝負だ。
「受けてあげるわ。でもあたしはもうジュースはいいから違うものを奢ってもらうわよ?」
 もう勝った気かよ? まあいい、このゲームセンターの中なら好きに選んでいいぞ。
「その言葉、後悔しないようにね」
 そもそも駅前のゲームセンターにそんなに高い物な売ってはいない、しかしなんとかして連
敗は避けたい所だ。
 ハルヒ相手に互角に戦えるゲームを求めて店内をぶらついてみると、いわゆる音ゲーと呼ば
れるコーナーが見えてきた。
 ん、めずらしい。DDRも置いてるのか、この店。
 DDRってのはドイツ民主共和国……じゃないぞ、もう存在しないしな。ダンスダンスレボ
リューションの事だ。
 ゲームの内容を簡単に言えば、正面の画面に音楽に合わせて出てくる矢印を見ながら、地面
に置かれた4つのパネルをタイミング良く足で踏んでいくゲームである。
「これで勝負するの?」
「お前、DDR知ってるのか?」
「知らない、けど簡単そうだから別にいいわよ」
 スニーカーを履いてきているハルヒは、デモ画面を見ながらさっそくパネルを試しに踏んで
みている。
 正直に言えばこのゲームで勝負するのは避けたい所だ。何故だって? 以前谷口達とゲーム
センターに行った時にこのゲームを実際にプレイするのを見たことがあるんだが、上級者のプ
レイは見ていてカッコいいものだった。
 が、続いてプレイした初心者だった谷口はなんというかもう見ている方も辛い程の出来とい
うかなんというか……。
 それ以来、俺達の間でDDRは禁句になっていた。まあ、ある程度大きな店でなければ置い
てないゲームだから避ける程の事でもなかったんだがな。
 まあちょうど今は谷口達も居ない、一度くらいは経験してみるのもいいだろう。
 俺はハルヒの隣のパネルに立ち、投入口に百円硬貨を入れた。
 画面は切り替わり、ゲームの説明や安全上の注意等が3Dのキャラクターで説明されていく。
「……なるほど。見たとおりのゲームなのね、キョンはこのゲームやった事あるの?」
 実は見た事があるだけの初心者だ。
「ふ〜ん、馴れたゲームで挑んでもよかったのに」
 余裕じゃないかハルヒ、このゲームを甘く見ない方がいいと思うぜ?
 俺は対戦モードを選び、難易度は初心者モードを選択した。
「あ! なんで初心者モードなのよ?」
 俺もお前も初心者だからだ。
「別に上級からでもよかったのに」
 不満げなハルヒは無視して、俺はなるべく難易度を示す足のマークが少ない曲……練習も兼
ねて難易度1の曲を選択した。
 そして始まった一曲目、馴れた人なら片足でもなんとかなってしまうような難易度の曲に、
お互い恐る恐る足を動かしていく。
 多少、GOOD! があったもののお互いそれなりのスコアで終了した。
「ねえキョン、これってどうやって対戦するの?」
「お前、今更それを聞くのか。まあスコアでいいんじゃないか? ここに出てる数字だ。3曲
プレイできるから、最後にでる合計で勝負しようぜ」
「ふ〜ん……。このGOODって何?」
 パネルを踏むタイミングがいいと、その上にあるPERFECTかGREATにカウントさ
れるんだ。この二つは連続すればするほど得点にボーナスがつくみたいだな。で、GOODと
それ以下の評価が出るとその連続したポイントがリセットされるんだと思う、多分だが。
「とにかく完璧に踏めばいいってこと?」
 そうだな。
「簡単じゃない! 次の曲いきましょ!」
 ……それが簡単な事かはもうすぐわかると思うぜ? 
 俺はハルヒの慌てる姿が見たかったのもあり、2曲目は難易度3の曲を選んだ。
 環境音楽の様だった1曲目と違い、2曲目はアップテンポなリズムで始まった。画面に出て
くる矢印はあきらかに速くなっていてその数も多い。
 よろけながらもなんとかステップを刻む俺の隣で……ああ、やっぱりハルヒはハルヒなのか。
 すでに滑らかな動きで踊るように足を動かすハルヒがそこに居た。
 中盤に差し掛かり矢印が一気に増えてきた所で、奮戦空しく俺の連鎖は途切れてしまった。
 こうなってしまうと、ハルヒがミスでもしない限り挽回は無い。
 その可能性にかけてなんとか足を動かす俺だったが、2曲目が終わった時点でスコアを大き
く引き離されてしまっていた。
「まあこんなもんよね。白旗でもあげる?」
 勝負は最後まで諦めない主義だと言いたい所だが……こうなってしまうと、簡単な曲を選ん
だのでは逆転の可能性は殆どない。
 となれば……ここは賭けに出るしかないな。
「ハルヒ、最後の曲はこのモードで一番難しい曲にしないか?」
「キョンにしては珍しいじゃない、望むところよ」
 その言葉、後悔するなよ?
 俺は谷口が初めてのプレイで選び、そして玉砕したその曲を選択した。
 最初の2曲と違い、歌ではなくトランス系の曲が筐体から流れ出す。
「パラノ……あ、消えちゃった。キョン、これってなんて曲?」
 俺も知らん、すぐにはじまるぞ?
「え、あ! 何これ?」
 画面を流れる矢印の速さ、量、複雑さ。どれをとっても1、2曲目とは段違いの難易度。
 流石のハルヒも慌てて足を動かしていく中、それ以上に無様なステップを俺は踏んでいた。
 ええい! あ、くそ! ……く〜駄目だ。頭と足の動きが一致してくれない。あの時に見た
谷口と変わらぬ見ていられない動きをする俺がそこに居た。
 賭けに出たのは間違いだったな……。
 半分諦めて隣を見れば、笑顔を浮かべて踊るハルヒの姿がある。
 足の動きひとつ見ても俺とは段違いだ、次の動きに入れるように考えて踏み位置や体の向き
まで変えてやがる。
 俺の視線に気づいたハルヒが微笑む。ああそうだ、お前の勝ちだよ。
 動かせる範囲で足は動かすものの、殆ど観客になった俺が見守る中でハルヒは最後のラッシ
ュを踏みぬいていく。
 連続するステップの途中、タイミングをずらして流れてくる記号に気づいたハルヒは軽くジ
ャンプして足が下りるタイミングをずらそうとした――んだが。
 その時、何かに気を取られたのかハルヒは帽子を手で押さえて急に動きを止めてしまい、画
面にMTSSの文字が連続で流れていった。
 なんだ、足がつったのか? 心配する俺を余所にすぐにハルヒの動きは復活し、程なくして
曲は終了した。
 勝負の結果? ……聞くまでもなかろうよ。
「お疲れさん、最後は惜しかったけどかっこよかったぜ」
「ま、まあね。このくらい簡単よ」
 何故か慌てた口調のハルヒが気になるが、まあいいか。
 それで、俺は何を奢ればいいんだ? 
「えっと……そうね、あれ奢って」
 そう言ってハルヒが指差したのは、プリクラのブースだった。


 ふ〜ん、400円か。結構な値段するもんなんだな。
 ハルヒの選んだプリクラの中はやけに明るくて眩しい。まあ、どれもそうなのかもしれんが
よく知らないんだ。
 俺は敗者の責務として財布から硬貨を取り出す。
「ちょっとどこ行くのよ?」
 へ?
 入金を終え、ブースを出ようとした俺の袖をハルヒが掴んでいる。
「どこって外さ、俺がいちゃ邪魔だろ?」
「な! 一人でプリクラなんか撮っても仕方ないじゃない!」
 そうゆうもんなのか?
 さっき、他のブースに一人で入っていく奴が居た気がするんだが……。
「そうなの!」
 ここまで言い切るんだ、多分そうなんだろう。
 俺はハルヒが何か画面をタッチペンで操作するのを見ながら、落ち着きなくブースの中を見
回していた。なんていうか、広くて綺麗な無人の証明写真機みたいな感じだな。
 値段もそれほど変わらないし、ここで証明写真を撮ってもいいんじゃないだろうか。
 俺がそんな現実的な利用方法を考えていると、
「準備完了! さあキョン、ひざまずきなさい!」
 ……俺をここに残した理由がやっとわかったよ。
 それから数分間、ハルヒは俺に次々と屈辱的なポーズを要求していき、まあハルヒ相手に勝
負しておいて400円で済む訳がなかったんだ等と自分を慰めつつもそれに従う俺が居た。
 チョークスリーパーをかけた状態だの、四つん這いになった俺の上に座るだの、足を組んで
座るハルヒの前で膝をついて頭を下げるだの、クラークの「少年よ大志を抱け」みたいなポー
ズで横を向くハルヒの脇に座ってはやし立てるように両手を上げさせるだのと……よくもまあ
これだけ思いつけるもんだぜ。
「あ、次で最後ね。最後のポーズはあんたの好きにしていいわよ」
 へいへい、ありがとよ。
 さて、どうしようか。あまり時間は無いだろうし、無茶なポーズをさせると後が怖い。
「ハルヒ、普通に並んで撮ろうぜ」
 正直もう腰が痛いからな。
「え……うん」
 なんだ、急に大人しくなって。今頃疲れが出たのか? 俺はもうぐったりだ。
 カメラの下の画面には、疲れた顔の俺の隣に俯いて何故か少し赤くなったハルヒの顔がある。
 画面の上部に数字が出てきた、どうやら撮影まで残り数秒らしい。ふと思いついた俺は隣に
立つハルヒの頭にかぶさったキャスケットを借りようと手を伸ばした。
 不意の事に動けないでいるハルヒから俺がキャスケットを取った瞬間、ブース内にフラッシ
ュが光った。
 その光が収まり、撮影終了の機械音声が流れても口を開けたまま固まっているハルヒ。
「お、おい。どうしたんだ?」
「……」
 言葉にならないのか、ハルヒは口をパクパクとさせて……ん、何かハルヒの髪形がいつもと
違う気がする。
 帽子をかぶっていたせいだけじゃなくて、なんていうか前髪がいつもより短い様な?
 俺の視線に気づいたのか、両手で自分の髪を隠した後ハルヒは勢いよく俺の手から帽子を取
り戻した。
 今更隠すのもどうかと思ったのか、ハルヒの手に戻った帽子は無残なほどに握りしめられて
いる。 
「なあハルヒ、それ」
「なによ。笑いたければわら「変ってるけど、意外に可愛い髪型だな」
 突然動きを止めたハルヒの顔が急に緩んで、
「ふぇ?」
 間の抜けた声を出すハルヒ、そんな俺達の会話を気にする事もなく機械音声は落書きブース
へ移動するように伝えてくる。
 ああ、こっちに行けばいいのか。のそのそとブースを出る俺の後を、ハルヒは何か言いたそ
うで言えないままついてきた。
 落書きブースの画面にはさっき撮ったばかりの俺の屈辱ポーズ画像がずらりと並んでいた。
 ここまでくると何て言うかもう壮観だな。
 そしてその画像の中の右下には、帽子を持った俺と驚きに固まるハルヒの顔もちゃんと表示
されていた。
 なるほど、全部がプリントされるんじゃなくて、実際に現像する画像はこの中から選ぶのか。
「ちょっとキョン! こ、ここはあたしだけで選ぶから!」
 無駄に強い力でハルヒが俺を押し出そうとしてくる、わかったわかった出て行くよ? でも
これだけは言わないとな。
 ハルヒ、小さくていいからこの右下の画像を残してくれ。
「なんでよ?」
「なんでって……よく撮れてるじゃないか。俺は好きだぞ、これ」
 その後、無言の押し出しをくらい俺は落書きブースから撤退を余儀なくされた。
 あ、しまった。考えてみれば画像を選んだ後はらくがきの時間だって説明に書いてあったじ
ゃないか? 
 一番楽しそうな時間である落書きタイムをハルヒに独占された事に俺は今更気がついた。
 ――数分後。
「はい、これ」
 そう言ってハルヒに渡されたのは……よくもまあこれだけ小さいサイズがあったもんだぜ、
と逆に感心したくなる程小さな例の画像だった。あんまり小さいもんだからハルヒの表情も見
えないし、俺も何をしているのかよくわからない。
 ありがとうよ。
 俺は素直に礼を言って定期入れの中にそれをしまった。
「ねえ、本当に変じゃない?」
 プリクラを出てから帽子をかぶっていないハルヒが、髪をいじりながら聞いてくる。
 何がだ。
「何がって」
「ああ、前髪か? 少なくとも俺は変じゃないと思うぜ」
「そ、そうかな」
 前髪を整えたり、後ろ髪を触るハルヒを見ていて俺は思い出した。
 あ!
「な、なによ変な声だして」
「その……お前にポニーテールを頼むのを忘れたなって」
 せっかくプリクラを撮ってたってのに、俺は何をやってるんだ。
 無言のままハルヒはポケットの中から髪ゴムを取り出すと、すっと後ろ髪を束ねてポニーテ
ールを作り出した。
 入学当初に見たあの長さは無いものの、ハルヒが動くたびに後頭部では可愛い尻尾がゆらゆ
らと揺れている。
 ……ハルヒ。
「何?」
 なんていうかその、なんだ。
 ハルヒは俺の言葉を待つように黙っている。
 いきなりの事に気の利いたセリフはどう考えても出てきそうにない、元よりそんなセリフな
んぞ知らないもんな。となればそうだな、思ったままを伝えてやるしかないだろう。
「……その、似合ってるぜ」
 俺の言葉を聞いたハルヒは数秒固まっていたが、やがて俯いて俺の手を握るとそのまま店の
外へと歩き出した。
 そんな行動を予測していた訳もない俺は、壁や機材や色んな物にやたらとぶつかりながら倒
れないようにとにかく足を動かすっておいちょっと待てっておい!
 ――ハルヒが俺の手を放したのは、結局店の外に出てからの事だった。
「ありがと」
 背を向けたままそう呟くハルヒは、一体俺に何を感謝しているというのだろうか。
「何がだ?」
 っていうか、俺としては今の行動についてむしろ聞きたい。
「気晴らしにつきあってありがとうって言ってるの!」
 礼を言うにしても、後ろを向いたままってのはどうかと思うぞ? 
「……じゃあ、また明日ね」
 結局ハルヒは一度も振り向かないまま、俺を残してそのまま帰って行ってしまった。
 やれやれ、結局俺は何しにここへ来たんだっけな?
 理解できない俺がため息をつく中、ポケットの中にある携帯に古泉から閉鎖空間消滅の連絡
が届いていた。


 ――翌日、俺は少しの期待をもって早めに家を出た。
 それはまあなんだ、もしかしたらハルヒがポニーテールで登校してくるかもしれないという
ほんの小さな期待さ。
 しかしどうやら神様は俺の期待を裏切るのがお好きなようだ。
 教室の入り口を見つめる俺の目に入ってきたのは、普段通りの髪形で登校してきたハルヒの
姿だったよ。
 そしてそれ以降もハルヒはポニーテールで学校に来ることは無かった。
 古泉曰く、外見の変化に気づけないってのは何気に女子の機嫌を損ねる事らしい。
 だが、気にした所で……自分が望んだ方向へ変化してくれるって訳でもないみたいだな。


 学校に行きたくない○○ 〜終わり〜




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